みどころ

アミール・ナデリ、アッバス・キアロスタミなど日本にもファンの多い作家達とも交友があり、イラン映画界に多大なる影響を与えた忘れられた作家カムラン・シーデル。

今回の特集では、「イラン・ニュー・ウェーブ」の先駆けとなったカムラン・シーデルの軌跡を辿りながら、ソフラブ・シャヒド・サレス、バハラム・ベイザイの劇映画のほか、カムラン・シーデルの60年代のモノクロ作品、アッバス・キアロスタミ『第1のケース…第2のケース』など、幻の日本初上映作品を含め、ドキュメンタリー映画の垣根を超えた長短編合わせて15作品を上映。

日本初上映となる幻の映画作家カムラン・シーデル(1939年〜)は、50年代イタリアへの留学経験から、当時のイタリアで全盛だったネオレアリズモの影響を受け60年代前半にイランへ帰国。イラン国内で設立されたばかりの文化芸術省で、映画の制作をはじめる。

国の機関である文化芸術省は、近代化の成功を讃えるプロパガンダを意図しシーデルに映画の制作を依頼したが、作品には、成功とはほど遠いイランの現実が巧みに描かれており、その映画的リアリズムが政府の意図とそぐわなかったため、60年代に完成した4作品のうち2作品『女性区域』『テヘランはイランの首都である』は制作を中断されフィルムは没収。

1979年イラン革命の際に、国に没収されて制作が中断されていた2作品の上映素材が発見され、未完成部分を追加して80年代に2作品とも完成。本編の最後には「unfinished」(未完成)とクレジットされていることにも注目。

特集では、アミール・ナデリ監督を迎えたトークセッションも開催。さらに、映画祭公式カタログには、アミール・ナデリ監督によるカムラン・シーデルへの寄稿文を掲載。詳細はこちら→https://www.yidff.jp/2019/program/19p6.html

『あの家は黒い』The House Is Black

監督、編集:フォルーグ・ファッロフザード/イラン/1962/21分

詩人でもあるフォルーグ・ファッロフザードが監督したドキュメンタリー。ハンセン病患者支援協会の依頼で、イラン西北部タブリーズにあるハンセン病患者の療養施設、ババダギハンセン病療養所を撮影した。当時、障碍者を被写体にした映画はほとんどなく、コーラン、聖書からの引用と作家自身の詩によって語られる施設の日常は、「詩的リアリズム」という映画のスタイルを確立した。

『髭のおじさん』The Uncle with a Moustache

監督、脚本:バハラム・ベイザイ/イラン/1969/28分

空き地の前に立つ一軒家。一人暮らしの老人は、毎日空き地で子どもたちが騒々しく遊ぶ様子をいまいましく思っていた。ある日、飛んできたボールが窓ガラスを割り、怒り心頭に発した老人は、外に飛び出し子どもたちを怒鳴りつけた。老人に恐れをなした子どもたちは二度と空き地に戻ってこず、静寂だけの日常に、老人は徐々に寂しさを覚えるのだった。荒涼とした空き地と一軒家。子どもたちと老人。限定されたロケーションと限られた登場人物だけで生き生きとした映画を生み出し、イラン映画の新しい潮流「ニュー・ウェーブ」の幕開けを告げた作品のひとつ。

『放つ』Deliverance/Release

監督:ナセル・タグヴァイ/イラン/1971/24分

イラン南部の港町。早朝、少年ダダは友人たちと小さなボートで海へ漕ぎ出し、綺麗な赤い魚を手に入れる。その魚が欲しくなった友人マシューが喧嘩をしかけ、魚をめぐって少年たちの小競り合いがはじまる。ダダはマシューを石で殴り魚を取り返したものの、友人を怪我させたことで小屋に閉じ込められ……。自由を奪われたことで魚の境遇に思い至った少年が魚を海に帰すという啓蒙的な物語が、ロケ撮影によるみずみずしい躍動感を伴い描かれる。少年たちが小船を駆使して遊ぶ海、魚を取り合い走り回る喧騒の路地、一転して薄暗く静寂に満ちた小屋などの印象的なショットが、「イラン・ニュー・ウェーブ」を感じさせる。1972年にヴェネチア児童映画祭でグランプリを受賞したほか、海外で高い評価を受けた。

『女性刑務所』Women’s Prison

監督:カムラン・シーデル/イラン/1965/11分カ

ムラン・シーデルがイタリア留学から帰国後に撮り始めたドキュメンタリー作品群「モノクロ4部作」の第1作。パフラヴィ国王の双子の姉妹であるアシュラフ・パフラヴィによって設立されたイラン女性協会より資金提供を受け、制作された。殺人、薬物使用、闇営業などの罪で刑に服す女性囚人たちが、自立支援を受けて手工芸をしたり、刑務所内で子どもを育てたりしている様子を捉える。当時35mmフィルムによる撮影時に同時録音ができなかったため、インタビューの音声は後から別人の声によって収録された。イタリアのネオレアリズモに匹敵するリアリズム表現が、新潮流「イラン・ニュー・ウェーブ」の先駆けとなった。

『女性区域』Women’s Quarter

監督:カムラン・シーデル/イラン/1966-80/18分

シーデルが留学からの帰国後すぐに制作したドキュメンタリー作品群「モノクロ4部作」の第2作。「ニュー・シティ」と呼ばれる歓楽街でイラン女性協会による売春女性支援の様子を捉えつつ、売春の背景にある貧困の実態を生々しく描き出した。制作中に撮影が突然禁止され、撮影素材は押収されて行方知れずになっていたが、イラン・イスラーム革命後の1980年にネガが発見され、シーデルの手により編集された。作品は「未完成(unfinished)」と表示されて終わる。

『テヘランはイランの首都である』Tehran Is the Capital of Iran

監督:カムラン・シーデル/イラン/1966-80/19分

1963年にパフラヴィ国王がイランの西欧近代化を目指して始めた改革「白色革命」の成果を記録する目的で、文化芸術省により製作されたドキュメンタリー。テヘランの学校で教師が子どもたちに書き取らせている、都市の進歩と国王を讃える文言と、貧困地区に暮らす人々の過酷な状況が並列して進行し、理想と現実の乖離を生々しく描き出す。編集時にラッシュプリントが押収され、イラン・イスラーム革命後に発見された。完成版のエンディングには、『女性区域』と同様、「未完成(unfinished)」と表示されている。

『雨が降った夜』The Night It Rained

監督、企画:カムラン・シーデル/イラン/1967/36分

洪水で線路が流されたことに気づき、列車に知らせて乗客の命を救ったことでヒーローとなった少年に取材したドキュメンタリー。少年の英雄的物語を映画にするよう依頼されたシーデルは、当初少年の物語を掲載した新聞、脱線の危険を知らせた少年本人、鉄道会社の職員がそれぞれ語る「異なる事実」に出会い、美談の裏に隠された「新たな事実」を描き出した。リアリティに対する批評性に富んだ新しい作風が政府関係者に受け入れられず、この作品が原因でシーデルは職を追われることになった。

『白と黒』Black and White

監督、脚本:ソフラブ・シャヒド・サレス/イラン/1972/4分

ソフラブ・シャヒド・サレスがカヌーンで制作した実験映画。コマ撮りによる短編実写映画で、白と黒の衣装に身を包んだ人物たちがフレーム内を縦横無尽に動き回る。対称的な二色で表現されるのは、生き生きとした活動的なエネルギーと創造性である。

『ありふれた出来事』A Simple Event

監督:ソフラブ・シャヒド・サレス/イラン/1973/80分

イラン北部の町バンダル・シャーを舞台に、酒飲みの父、病弱な母と暮らす少年の日常を描いたシャヒド・サレス初の長編劇映画。少年は、父の密漁の手伝いと病気の母の世話に追われて小学校に遅刻し、休み時間には友人たちの遊びに加われず先生に補習を受けている。やがて母は他界するが、残された少年と父親の日々は変わることなく続く。フィックスによるロングショット、ロングテイクを生かした丁寧な描写が、少年一家の過酷な「ありふれた日常」を生々しく浮かび上がらせ、世界的な評価を得た。

『静かな生活』Still Life

監督、脚本:ソフラブ・シャヒド・サレス/イラン/1975/94分

シャヒド・サレスの長編劇映画第2作。住み込みで踏切の管理をする鉄道員の老人は、突然やってきた役人に定年を告げられ、後任の若い鉄道員に宿舎の明け渡しを迫られる。11日間のロケ撮影で制作された本作は、役者に素人を起用し、フィックスによるロングショットおよびロングテイクと、音楽を排した静謐なリアリズム描写により、つつましく暮らす鉄道員老夫婦の「静かな生活」を活写し、ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した。イラン国内での上映で好評を博したが、次回作の撮影許可を得ることができず、シャヒド・サレスは国を離れてドイツに移住し、二度とイランで制作することはなかった。『ありふれた出来事』とともに、「イラン・ニュー・ウェーブ」を代表する作品として、のちの作家たちに大きな影響を与えた。

『ホセイン・ヤヴァリ』Hossein Yavari

監督:ホスロ・シナイ/イラン/1973/17分

ウィーンで音楽教育を受けたホスロ・シナイが、ネイ(笛)奏者を被写体に、芸術家の佇まいと音楽の魅力を捉えた作品。古びた家に一人で暮らす奏者の語り口は詩のようで、ネイの音と相俟って幻想的な世界を描き出す。奏者の語りに触発され、作家自身がうさぎを詠んだ詩で終わる。前衛的ドキュメンタリーとドキュメンタリー・ドラマの作家として高い評価を受けるホスロ・シナイが70年代に制作した実験的作品。

『借家』Tenancy

監督:エブラヒム・モフタリ、ケイヴァン・キアニイラン/1982/42分

イラン・イスラーム革命直後に国営放送により製作された、都市の住宅事情をテーマにしたテレビシリーズ「SHELTER」の1本。パフラヴィ王制末期に成立した借家法により、大家の要求があればいつでも住人を立ち退かせることが可能になり、革命後もその法律は引き継がれていた。この作品で、エブラヒム・モフタリは、大家が住人に立ち退きを迫る現場を訪ねて騒動の様子をカメラに収めた。役所の担当者も交えた交渉の一部始終は、のちに社会正義について議論を巻き起こし、借家法が改正される契機となった。この作品は、革命後の混乱期に製作され、スカーフを被っていない女性が被写体になっているためか、海外でしか上映されていない。

『第1のケース…第2のケース』First Case…Second Case

監督、編集:アッバス・キアロスタミ/イラン/1979/53分

ある学校で、先生が黒板に向かっている間に騒音を立てたいたずら者の生徒。先生は犯人を含め後列に座る7人を廊下に立たせる。先生は彼らに対し、犯人を教えたら授業に戻れるという条件を与える。キアロスタミは、誰も口を割らないケース1、ひとりが犯人の名を先生に告げるケース2を提示し、それぞれのケースに対する識者たちの意見をカメラに収める。生徒たちが演じる2つのケースと、さまざまな識者のインタビューにより、善悪や倫理に関する多様な視点を浮かび上がらせる。イラン・イスラーム革命の時期に作品が制作されたため、その後の混乱の中で国内外での上映が長らく禁止されていたが、パリとボローニャのラボでの修復を経て、今年世界に公開された。

『バシュー、小さな旅人』Bashu, the Little Stranger

監督、脚本、編集:バハラム・ベイザイ/イラン/1985/120分

イラン・イラク戦争下のペルシャ湾岸より逃れ、カスピ海沿岸の村にたどり着いた10歳の少年バシューを主人公に、言語の異なる村人との間に繰り広げられる騒動を描いた劇映画。イラン南西部フーゼスターン州のアラビア語地域に暮らしていた少年バシューは、イラクからの砲撃に驚き、飛び乗ったトラックに揺られてイラン北部ギーラーン州の村に着く。出稼ぎで行方知れずの夫を待ちながら子どもたちと畑仕事をしていたナイは、突然現れた知らない言語を話す少年に驚くが、家に連れて帰り世話をする。マイナー言語に焦点を当てた、子どもと女性のシンボリックな演出が特徴的な教育映画。戦時下に国威発揚ではなく、異質な他者の包摂を描いたベイザイの、映画人としての矜持が垣間見える。1985年に完成したが、戦争終結後の1989年まで公開できなかった。

『水、風、砂』Water, Wind, Dust

監督、脚本:アミール・ナデリ/イラン/1989/70分

故郷が湖が干上がるほどの干ばつに見舞われたため、出稼ぎ先から急遽帰郷した少年。井戸も涸れ、生き物は死に絶え、一面砂漠化した地にたどり着いた時、家族も住人たちも集落を去った後だった。主人公の少年が家族を探して、ひたすら砂嵐の中を彷徨う作品で、風の吹きすさぶ音の合間に、置き去りにされた赤ん坊の弱々しい泣き声、移動する住民たちが互いを奮い立たせるかのように唄う歌、家畜の屍を食らう野良犬の唸り声などがはさまれる。イラン・イラク戦争で荒廃した街をロケ地に、主人公の少年が家族を探す『Jostojuyedovvom(捜索2)』(1981)のバリエーションともいえ、過酷な環境の中で生き抜くために水と食料を求める生の力強さを、ひとつの様式にまで高めた傑作。