この文章は、2022年1月17日〜2月6日に実施したオンライン配信イベント「Made in Japan YAMAGATA 1989-2021」に合わせて執筆されたエッセイを日本語訳したものです。
『うたうひと』(2013)には、特別な魔法がある。これからその魔法の仕掛けを説明するが、その前にこの映画についてひと言、ふた言。本作は酒井耕と濱口竜介が監督した「東北三部作」と呼ばれる作品の第3弾で、東北とは日本の本州の北部地域のことである。前2作とは、『なみのおと』(2011)、『なみのこえ』(2013)だ。3.11の三重の災害をきっかけに作られた作品のなかでも最も興味深いのがこの3本だ。『うたうひと』は震災と津波を直接的には扱ってはいないが、3.11の被災者を中心に据えた先の2作の文脈で観賞することで、より力強い作品として立ち上がってくる。
山形は津波被害区域の真西に位置している。両者の間には山脈が横たわっているが、その距離はわずか110キロほどしかない。福島原発からは山形市の映画館まで放射能が飛んできていた。他のどの県よりも多くの避難民を受け入れた山形では、震災が県民に与えた精神的な打撃は大きかった。山形国際ドキュメンタリー映画祭は隔年で開催されるが、スタッフは1年中、上映イベントを開催している。3.11の後、プロジェクターやスクリーン、発電機を車に積んで被災地に入り、被災者のためにジブリ映画や娯楽映画の上映会が催された。
そして、映画祭本体では、「ともにあるCinema With Us」と題した3.11作品の大きな特集が企画された。2021年の映画祭でこのシリーズは第6回目を数えた。山形映画祭では何年ものあいだ、3.11に関するドキュメンタリー作品を可能なかぎり収集してきた。現在までにそれらは、8,000本のアーカイヴのうち数百のタイトルを占めている。手元のメモを確認すると、そのなかから約300本を私はあるプロジェクトのために視聴しているのだが、その作業のあまりのつらさが理由で計画は中断してしまっている。「東北三部作」は私が見た作品のなかでも他よりも際立った存在だった。間接的なアプローチが功を奏しており、静かな情感に力があり、形式に独特の工夫があるのだ。
濱口にとって東北に行くのは初めてだった。せんだいメディアテークでは、三重の災害をあらゆる側面から記録するプロジェクトを開始しており、被災者が制作したメディアの収集と、記録資料やインタビューの撮影が行われていた。母校である東京藝術大学を通じてそこでのカメラマン募集の話を耳にした濱口は、5月にその地へ足を運び、同級生の酒井を誘って夏にふたりは合流した。
インタビューでは、すべての質問と受け答えが被災体験を前提にしておりその枠に人びとをはめこむかたちとなることが、彼らには不満だった。証言の記録は、どうしても堅苦しく、形式ばったものになってしまうのだ。従来のドキュメンタリーにおいては、インタビューは真実の源として位置づけられるものだが、実際には最も実験的な映画と同じように構成が施されているものである。そこに自然なものなどは一切ないのだ。 これに対して、酒井と濱口は、「東北三部作」の3本の映画において、ドキュメンタリーにおけるインタビューを完全に考え直した。
そのために彼らは過去の経験を生かすことにした。濱口は直近に、演劇の舞台を描いた長編映画『親密さ』(2012)を撮ったばかりであった。彼は、親近感を演出するために、俳優を正面から撮影したり、会話やドキュメンタリーの技法を取り入れたりと、多くの映画的手法をそこで試みていた。彼は結局、この作品がドキュメンタリーについて学ぶための実験室のようなものになったと感じていたという。
「東北三部作」では、一組の登場人物、そして登場人物と観客のあいだに親密さが形成されるように、直説話法を中心にすえるという戦略を立てた。ドキュメンタリーにおける直説話法では、私たち観客の位置にあるカメラに登場人物が直接視線を向けることになる。事実上カメラは、歴史的世界の「向こう側」にいる人物と私たちとのあいだのパイプ役となる。この手法はテレビ番組などでは典型的だが、インディペンデントのドキュメンタリーでは比較的珍しいものだ。
マーガレット・モースが指摘するように、テレビにおける直接話法の使用は、行使される権力の流れと深く結びついている。テレビのニュースでは、司会者はカメラを直接見て、権威的に視聴者に語りかける。彼らが街頭のリポーターに話題を投げるときは、目線を移すか背を向けるジェスチャーでほぼ示される。リポーターの側ではカメラを見てはいるのだが、必ずスタジオにいる司会者に対して話しかけることになる。一方、一般人にインタビューがされるときには、司会者とは対極の権力的に弱い立場にある彼らは、決してカメラを見ることはない。テレビでカメラ=視聴者に向かって話しかけるのは、番組のホスト、国家元首、CMの俳優くらいである。すべてが権力に関係しているのである。
従来のドキュメンタリーには、このような権力のスペクトラムが内在している。テレビ司会者と同等のものとしてみなされるのは、監督が全能の「神の声」ナレーションを映像に重ねる場合だろう。インタビューの場面では、被写体は無力である。彼らは私たち観客に直接語りかけることができず、「神の声」=監督に従わされる。同時に、ドキュメンタリーは、インタビューの対象者を純粋な真実の語り手として示すことで、映画のあらゆる側面が監督によって支配されていることを否定するのがせいぜいなのである。
これに対して、『うたうひと』とその前2作における直接対話は、根本的に異なっている。ここではふたりの人間、多くは友人や親類、災害の生存者が、互いに直接話法で語り合う。ある被災者がもうひとりの被災者に語りかけるのである。ここでカメラが一方または他方にかわるがわる切りかわるうちに、私たち観客は彼らの聞き手役として引き込まれることになり、あたかも対話に加わるようにしてなにごとかが共有されるのである。酒井と濱口のドキュメンタリーが成し遂げた、品位と敬意に満ちたアプローチにおいては、話し手をその中心に置き、彼らが自分のペースで、自分のやり方で、価値や重要さ見出している話題を語るにまかせている。
このふたりの話し手の間の直接対話は、最初は見る者には異様にうつり、あたかもよそ者として立ち会っているような居心地の悪さを与えるが、少しすると、それは映画における新しい傾聴の様式へと変化する。その表現を受け入れながら見るのにだんだんと慣れていくと、私たちは語りかけてくる人たちの聞き手になってしまうのである。そこにある対話は直接的で、親密なものになる。これは非常に驚くべきことだ。事実、「東北三部作」の人間の顔の見事な使い方は、ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』(1928)やベルイマンの『ペルソナ』(1966)のそれと肩を並べるものである。
この技法についてはもっと言いたいことがあるのだが、そのためには、それがどのように監督や出演者らによってやり遂げられたかを説明する必要がある。通常、ネタバレはプロットに関するものだが、これからのネタバレは技術的なものである。もし、どの作品も見ていないなら、DAFilmsの『うたうひと』を見てから、以下読み進めてほしい。
ドキュメンタリーで親密さを表現するには、まずそこに親密さがなければならない。小川紳介のように、被写体と何年も生活をともにする映画監督もいる。互いに友好を結び親交を深めることで親密さを獲得し、結果、映画作家と被写体のあいだにある壁をこじ開けるのである。それには時間とお金と素質が必要だが、私が思うに酒井と濱口にはそれらを持ち合わせていなかった。
そこで彼らが最初に選んだのは、監督とではなく被写体同士で会話をさせ、その対話から物語を語らせることであった。『うたうひと』のなかに民話研究者の小野和子にインタビューするシーンがあるが、そのインタビューは移動中の車やバスのなかで行われ、全員が同じ方向を向いている。多くの人は、おそらくほとんどの日本人は、どんな場合でも相手の目を直接見て話すことに慣れていない。監督たちはこれを強く自覚しており、そこから小野へのインタビューのほか、映画の核となる語りのシーンの演出も決定していったのである。
また、酒井と濱口が語り部と初対面であるのに対し、小野は彼らを何十年も前から知っていることが重要だった。前2作の対話が、たいてい家族か友人同士のものだったのと同様である。出演者たちは明らかにお互い気心が知れていた。とはいうものの、カメラを向けられると誰でも居心地が悪くなるものだ。これを解決するために、まずカメラを置かずに会話をさせ、話がのってきて本音が出てくるまで時間をかけることにしたという。そのとき初めてカメラを持ち出し、劇映画でとられる従来型のカメラ配置で彼らは撮影を始めた。被写体ふたりを同一画面に収めるショットでは、互いは向き合うかたちで広めの空間に置かれた椅子に座っている。ふたりの会話が始まると、45度のアングルで撮影される伝統的な切り返しショットが画面では展開される。すると、ある瞬間から切り返しショットは直説話法に切り替えられる。これが観客の視聴体験を一変させしまうことになる。
実はこの話法の切り替えのあいだに、いったんの区切りをいれる時間が設けられていたという。切り返しショットを撮りながら会話を再開させた後、被写体が撮影に慣れるまでおしゃべりをさせ、テープ交換や休憩などのタイミングの折をみて、新しい撮影のやり方を説明する時間が取られていたのだ。
このとき椅子は少しだけ横にずらされる。カメラはそれぞれの椅子の真横に置かれ、レンズは向かいの相手に向けられる。そうすることで、対話相手が少しだけ斜めの位置に座ることになり、ふたりの真向かいには彼らを真正面から捉えるカメラが据えられることになるのである。
そこで、少しでもリラックスしてもらうために、それぞれの語り手に白いテープを渡し、相手の眼を描いてもらう。その「眼」を向き合うカメラのレンズフードに貼り付けるためだ。そうすることでこの後、それぞれが相手に話しかけながらも、カメラ=眼を見ながら会話を続けることができたという。
余談だが、「東北三部作」を解説するときに、小津を引き合いに出す論者が多い。その比較は面白いが、すべて間違っている。濱口と酒井は被写体を真正面から撮影している。小津は、俳優にカメラからそむけた方に向いてもらい、胴体をひねらせてカメラに顔が向きあうようにさせていた。デヴィッド・ボードウェルはそれを「トルキング torquing」と呼ぶ。しかも、顔は真正面の位置になく、目線もカメラレンズの軸とまったく合っていないので、俳優が見ているのは観客ではなくその少し横にそれたところとなるのだ。以前、俳優の岡田茉莉子に、『秋刀魚の味』(1962)と『秋日和』(1960)で小津監督と撮影したときの話を聞いたことがある。彼女は、小津の指示で体を少しずつひねるように指示されたことを語ってくれた。小津は、気に入った姿勢が得られると、眼が手書きされた紙片を先端にくっつけた棒を差し出した。岡田は小津が動かす杖にある眼を見ながら、監督の望む方向に彼女の目線が合うようにするのである。その位置でセリフを言わなければ、最初からやり直しになる。手描きの眼以外は、酒井や濱口が考え出した技法とこれはまったく関係がない。
酒井と濱口は試行錯誤の末にこの方法にたどり着いたが、一度かたちにしてしまうとその効果は不思議なほどだった。カメラ目線で相手に話しかけることに慣れると、普段は黙っているようなことも話せるようになるのだ。ときには、対話をしているふたりの新たなステージをカメラが捉えているように感じられることもあった。
観客が直接話法の衝撃を乗り越えたとき、映画は変貌する。観客は、映画的で人工的な体験であることを知りながら、話し手との奇妙な親密さを経験するのである。ショットが非常に長いので、ゆらぎ、ほほえみ、苦笑がうつろう美しい顔をじっくりと観察することができる。これは物語であるとともに証言であり、だから私たちはドキュメンタリーを見るようにして彼らの発言を真実として受け入れたくなる気持ちになる。しかし同時に、すべてを語り尽くせるわけではないことは誰もが承知している。カメラに写される話のなかに、別の話が隠されているのだ。3.11の惨状を回想する人びとが登場する前2作には特にそれがいえる。『うたうひと』では3部作の締めくくりにふさわしく、前2作の逆バージョンが展開されている。『なみのおと』と『なみのこえ』は実話を、『うたうひと』は民話を描いているが、どちらも物語の奥底に暗い現実を秘めている。最後の作品は、前2作の虚構に疑問を投げかけると同時に、人びとがこれらの物語として語り継がなければならない真実とはなにかと問いかける。前2作が、新たな世代に引き継がれる3.11の物語をかたっていることは明らかである。
『うたうひと』が公開された頃、山形国際ドキュメンタリー映画祭 前ディレクターの藤岡朝子が、「この作品は字幕で見ても成立するのかしら」と口にしていたのを覚えている。 今週、作品を再鑑賞しながら、その言葉を思い出した。たしかに言う通りだと思いながら、もう一歩踏み込んで考えてみた。『うたうひと』は翻訳不可能な作品だ。もちろん、ストリーミング版には英語字幕がついている。しかし残念ではあるが、それではどうにもならない問題が残っている。そもそも語り部のお年寄りたちは、みな東北の方言で話しているからだ。東京の「標準語」で教育を受けた人間にとって東北弁を理解するのは非常に難しいので、字幕は実にありがたいのだけれども。
この問題は単に意味上の問題ではない。語り手たちの話しかたには音楽的なリズムや歌うようなメロディーがともなっていることは、北国の老人と時間をともにしたことのある人なら誰でも知っているものだ。字幕は意味を完全に透明化し、アクセントをなくしてしまう。しかも、字幕のために映画のあいだじゅう目を上下に動かすことになるので、語り手の存在に真に寄り添うことを不可能にしてしまう。語り部の音楽的な言語は、その美しい表情と表裏一体であるからだ。
(高橋恵 訳)
マーク・ノーネス
ミシガン大学アジア映画学教授。専門は日本映画、ドキュメンタリー、翻訳論。1990年代以降、YIDFFのプログラマーとして活躍し、映画も制作している。最近の著書、オープンアクセスの『Brushed in Light』では、書き文字と東アジア映画の密接な関係について論じている。
http://www-personal.umich.edu/~nornes
マーク博士の山形あれこれ:
http://www.yidff-live.info/tag/drmarkusyamagatamusings/
第1回『映画の都』監督:飯塚俊男/1991/ YIDFF ’91 特別招待
第2回『阿賀に生きる』監督:佐藤真/1992/YIDFF ’93 優秀賞
第3回『A』監督:森達也/1998/YIDFF ’99 ワールド・スペシャル・プログラム『A2』監督:森達也/2001/YIDFF 2001 特別賞、市民賞
第4回『丸八やたら漬 Komian』監督:佐藤広一/2021/YIDFF 2021 やまがたと映画
第5回『新しい神様』監督:土屋豊/1999/YIDFF ’99 アジア千波万波