2月23日[金]〈YIDFF 2017 アンコール3:孤独な存在〉

2017年の映画祭で上映されたインターナショナル・コンペティション作品から選りすぐりのものを上映する金曜上映会アンコールシリーズの3回目。今回は沙青(シャー・チン)監督作品『孤独な存在』を上映します。併映は2003年のインターナショナル・コンペティションで上映されたヘルツ・フランク監督の『フラッシュバック』。「生きる意味」を問い、思索を喚起する2作品をご堪能ください。

『孤独な存在』 14:00- 19:00-(2回上映)

『孤独な存在』

山形国際ドキュメンタリー映画祭 2017 インターナショナル・コンペティション 優秀賞

監督:沙青(シャー・チン)/中国/2016/77分

作品紹介:

彼は何年もの間、家から出ることなく、締め切ったドアの内側で、誰とも会話することなく過ごしてきた。いままで向き合うのを避けてきた、隠された自己を投影する他者の存在を、カメラでひたすらに観察する欲望だけが、彼の生をつないでいる夢幻的な日常風景に息づく他者のイメージを通して、彼は魂の自由を得られるのか? 『一緒の時』(YIDFF 2003)の沙青監督が、作家として、他者や自己を見つめることの根源を問う。

 

『孤独な存在』

監督のことば:

12年前、新作の準備をしていた私は、ひどく落ち着かない気分にとらわれていた。またしても私は、他人を記録する映画を作りつつも、自己を隠蔽しようとしているのだろうか。そうでないにしても、自己を表出するとなったとき、どうするのが適切と考えられるのだろうか。私の個人的な生を描くだけのものにならないためにはどうすればよいのだろうか?

手がかりを求めて、私は試行錯誤を開始した。カメラのレンズを通して、何年も前から魅了されてきたいくつかの顔を観察することを始めたのだ。眼前の彼らの、簡潔でぎこちない、ほとんど剥き出しの生は、ただあるがままにある。私は想像のなかで、彼らとともにその家に入り込み、彼らの生において長い日々をやり過ごす助けとなる輝かしい瞬間とはどんなものか推し量ろうとした。しかし、言葉が信じられない、あるいは単に人見知りということもあるのだろう。私が実際にあえてそれを突き止めることはなかった。

6年後、私は他の人びとを観察したものを、一篇の映画にまとめ上げた。それでも、あの落ち着かない気分が消えることはなかった。だから私は、自分の作品はまだ完成していないと感じていた。

また数年が経ち、私はどん底にいるような気分に陥っていた。こんな気持ちになったのは初めてのことだった。しかし、まさしくこのとき、生はその尋常ならざる力を開示したのである。崖っぷちからどうにか復帰し、私は新たに限られた生を生きられるようになっていた。あれほど長らく望んでいた気分や活力が、私のなかを満たしたのである。

制作作業を再開すると、かつて自分を悩ませた、にもかかわらず実際に掘り下げることのなかったあれらの問いのいっさいが、ふたたび私の脳裡に浮上してきた。私に悟りが訪れたのは、過去の哲学者や賢人が遺してくれた励ましの言葉やその徴に目を向けるようになったときのことである。他者の顕在化とともに自己を見出すことが、生の本質を開示したいという欲望を可能にすることを、ようやく私は理解したのである。

沙青(シャー・チン)

 

『孤独な存在』

 

『フラッシュバック』 15:40-(1回上映)

『フラッシュバック』

山形国際ドキュメンタリー映画祭 2003 インターナショナル・コンペティション上映作品

監督:ヘルツ・フランク/ラトヴィア/2002/105分

作品紹介:

ヘルツ・フランク監督の自伝的作品。活動してきた国を歴訪する映像の合間に挿入される過去の作品の断片――出産、死体解剖、割礼、死刑執行を待つ囚人などショッキングなテーマの果てに監督自身の心臓手術シーンが待ち受ける。自らを題材として生と死について語り続ける真摯さの中から、75年という人生の軌跡が鮮やかに浮かび上がる。

 

『フラッシュバック』

監督のことば:

これは、私が今まで共に仕事をさせてもらったカメラマンたち――澄んだ片目と涙に曇ったもう片方の目を持つカメラマンすべてに捧げる、映画に形をかえた告白録だ。作中400からなるシーンはどれも正真正銘のドキュメントであり、それらが集まって、ドラマティックな展開、独自の考え方、私的な世界観、そしてもちろん映像文化が想像的に織り成されている。

『フラッシュバック』は1978年の短編映画『Ten Minutes Older』から生まれた。当時カメラマンのジュリス・ポドニエクスと私は人形劇シアターで、この映画をワンテイクで撮りあげた。10分間カメラを回し続け、3列目にいた男の子の顔をじっと見つめる私たちは、劇場の薄暗がりを通してそのかすかに震える表情の中に人間の魂の深淵をのぞいていた。1999年、私はふたたびこの少年に会いたいと思った。現実の暮らしの中で、おとぎ話ではない現実の善と悪に触れ、あの震えていた子供はどう変化しただろうか?

こうして新しい映画の扉は清き天使によって開けられたが、その背後には堕天使がひそんでいた。妻が致命的な病にかかり、私自身も心臓手術を受けることになったのだ。私は何もかもあきらめるしかないと思ったが、ドキュメンタリー映画製作に取り組む意欲が自分の肉体をはるかに上回っていた。

私はカメラを自分に向け、そして昔をふり返った……まさにフラッシュバック! 過去の作品、心臓切開して治療すればまだ引き延ばせると分かった自分の人生を、私は思い出した。私の目の前で消え去ってゆく妻の悲しい運命……はるかな故郷ラトヴィアのリュツァ、私が生まれ、そこからすべてが始まった小さな町。母は歯科医で、写真家だった父の生涯の夢は映画を撮ることだった……。

ヘルツ・フランク

 

[会場]山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー試写室
[料金]鑑賞会員無料(入会金・年会費無料)
[主催]認定NPO法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭
[問い合わせ]電話:023-666-4480 e-mail:info@yidff.jp