1月24日の金曜上映会〈閉ざされた時間〉
今回の金曜上映会は〈閉ざされた時間〉と題して、山形国際ドキュメンタリー映画祭開催初期の90年代のインターナショナル・コンペティション上映作品から2本をお届けします。ドイツ、シビル・シェーネマン監督の『閉ざされた時間』。スロヴァキア、ドゥシャン・ハナック監督の『ペーパーヘッズ』。どちらも35mmフィルムでの上映となります。
『閉ざされた時間』 14:00-、19:00-(2回上映)
山形国際ドキュメンタリー映画祭 ’91 インターナショナル・コンペティション 山形市長賞(最優秀賞)受賞
監督:シビル・シェーネマン/ドイツ/1990/90分
作品紹介:
ベルリンの壁が崩壊する前、この映画の監督であるシビル・シェーネマンとその夫は、社会主義国家の権威と法を無視したという理由で、実際に逮捕され懲役一年の判決を下された。彼らはその前に国を出ることを願い出ていた。1985年、二人は西ドイツに追放された。そして今、ドイツの再統一の後、この監督はカメラをもって、あの時起こった事柄を分析し、理解するためにその地に戻る。彼女はいろいろな質問の答を得ることができるであろうか。彼女は判事、役人、弁護士など、その時彼女の運命を定めた人々を追跡する。そこには無数のボルトで堅く締められた扉や門がある。開いているものもあり、通過不能な壁として閉じたままのものもある。暗い廊下と錠のかかった監房は重苦しい閉所恐怖症の印象を刻む。監視員の鋭い目は絶え間なく私たちを虐げる。これは国家の専横さ、報復、厳重な支配についての映画である。これはまた、無力さ、盲目に服従すること、責任感の欠如について問う作品である。上からの命令は、質問することなしに即座に実行しなければならないというはかりきれないほど巨大な国家機構の中で、人間は単なるちっぽけな歯車にしかみえない。
YIDFF ’91 公式カタログより
監督のことば:
そして私はついに、前にいた刑務所の監房の一つに腰をおろし、はじめてその時抱いていた感情に耳を傾け、肉体的、精神的に私を苦しめた人々に会った。が、彼らは何も知らずにただ義務を果たしていただけという事実をひきあいにだして、自分たちは不正というギアで動いていた小さな歯車に過ぎなかったと主張した。その時、私は、本質を追求し、私と対立しようとした人々を見つけだそうと決めた。莫大な量の情報を見つけたが、ほとんどの人は昔のことを思い出すことができなかったり、思い出したくなかった。そして誰も「はい、今なら分かります。私はあの頃あなたに危害を与えました」といわなかった…ただ命令を受け遂行した人々、上の者の“必要性”に従った人々、何が起こっているのかさっぱりわからなかった人々、私はこのドイツの入り組んだ人間関係の中に、再び捕らえられたことを悟った。
シビル・シェーネマン
『ペーパーヘッズ』 15:50-(1回上映)
山形国際ドキュメンタリー映画祭 ’97 インターナショナル・コンペティション 優秀賞受賞作品
監督:ドゥシャン・ハナック/スロヴァキア/1996/96分
作品紹介:
この映画は1945年より1989年までのチェコスロヴァキアの歴史をまとめた作品である。膨大な記録映像を編集した内容、また生存者の証言には1945年以降のこの国の内情を知らなかった観客にとって数々の新事実が知らされることになる。だがドゥシャン・ハナック監督の視点は、さらにそれらの激動の時代を生き抜いてきた人々、より個人的な人間としての想い、感性の在り方に向けられている。自由な発言が得られず投獄された人々、今、晴れて暗黒の時代を語る生存者はしかし既に老人となっている。最早、失われた時は取り戻せない。それはしかし、取材をするハナック監督にとっても同じことであった。1989年当時、まだ社会主義諸国が解体する前に本映画祭に出品された『老人の世界』(『百年の夢』)は老人たちの死生観を独特なアイロニーで捉えた記録映画であったが、今にしてみればあの映画は作者が『ペーパーヘッズ』で込めた当時の体制への率直な批判を婉曲に表現した、またはせざるを得なかった仮面劇ではないかとも思われてくる。そこにハナック監督の芸術家としての一面を見る思いがする。私はもう一度『老人の世界』を見直さなければならない。『ペーパーヘッズ』は記録映像で写される犠牲者、証言者と同時代を生きた監督の深い心の傷を見る思いのする映画である。
YIDFF ’97 公式カタログより
監督のことば:
この映画は人権の蹂躙についての、そして全体主義体制下における市民と権力との関わりについての、エモーショナルなコラージュである。ソビエト帝国は第二次世界大戦の直後、“地上の楽園”を約束してその支配を拡大したが、その実践においては民主主義のあらゆる要素を拭い去り、恐怖とデマゴギーの政府を導入し、何十万もの人々の命を破壊したのである。
私の映画はより公正な世界で生きたいという人々の願いを描いたものであり、決して単なる過去の回顧ではない。共産主義支配は1989年に崩壊し、多くの国々が再び民主主義への道を模索している。これは矛盾に満ちた苦難の過程である。私から見れば、我々は過去との折り合いをつけることができず、我々の実際の生活は未だ過去の名残りがたくさん生き延びている。この映画では冒頭と最後に、1990年のメーデーで、共産主義時代の演壇に立った“ハリボテの面”(ペーパーヘッズ)を被った人たちを見て笑い声をあげるスロヴァキア市民たちの姿を見る。
この映画はそれをさらに突き進めた形で、共産主義時代からのプロパガンダの資料映像と、全体主義体制の犠牲者たち自身の語る証言の2つのレヴェルを交錯させる。そして最後に、我々は民主主義への戦いがまだ終わっていないことを学ぶのである。
ドゥシャン・ハナック
[会場]山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー試写室
[料金]鑑賞会員無料(入会金・年会費無料)
[主催]認定NPO法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭
[問い合わせ]電話:023-666-4480 e-mail:info@yidff.jp