『蟻の蠢き』監督:徐若涛(シュー・ルオタオ)、王楚禹(ワン・チューユー)

浦野真理子

『蟻の蠢き』は、中国最大の国有通信会社チャイナテレコムを解雇された56人の労働者たちの権利申し立てと、彼らを支援する20数名のアーティストたちと1人の弁護士の活動の記録だ。あかぬけない農村の中高年労働者たちは、年金と未払い金、そして法の公正な執行を求める。インテリのアーティストたちは、芸術の社会的な役割を自らに問い、アートを通じ労働者の訴えを一般に届けようとする。政治的な迫害の危険はすぐそばにある。当初、両者に存在していた隔たりはだんだんと埋められ、草の根のダイナミックな政治運動になっていく。

まず画面に映し出されるのは、陝西省の山あいに鳥の声が響く遠景ショット。のどかな光景に見えるが、カメラが右にパンをしていくと、険しい山並みがどこまでも続く。舗装された道路に車が行きかう北京の路上を映す画面を挟み、広くはないが観葉植物が飾られ、居心地の良さそうな中産階級のアパートの居間に場面が移る。ワン・チューユー監督を含む10名ほどの男女のアーティストたちがソファーと椅子に車座で座り、真ん中に置かれたコーヒーテーブルに置かれたスナックをかじりながら話している。この討論会のテーマは、アートパフォーマンスを行い、統制されたメディアの代わりに労働者の訴えを一般に知らせることの意義について。芸術が労働者に奉仕する理念を実現しようと、監督らを乗せた車はいくつものトンネル道を抜けて陝西省へと向かう。ホテルの一室での両者の会合の様子を見る限り、労働者たちはアートパフォーマンスの説明にピンときていない。しかし会社前で行われた街頭デモでは、アーティストたちに指示されるまま、饅頭をくわえた特大写真を掲げる抗議パフォーマンスを行う。饅頭は生存のために必要な食料を象徴的に表し、パフォーマンスを通じ老齢年金を要求している。しかし社員からの妨害に合い、2人の労働者が1週間警察に拘留されてしまう。

この映画に出てくる労働者たちは、20年以上も陝西省でチャイナテレコム社に雇われ、バイクで山道を行き来して電話線敷設や保守点検業務を担ってきた。しかし会社側は中高年になった彼らを2018年に突然解雇し、契約は労務請負で雇用関係はなかったと主張。年金を払わないばかりか、彼らが自腹で立て替えた経費や客からの未回収金さえ清算しようとしない。北京での請願も聞き届けられず、裁判に訴えるが雇用か請負かが焦点とされ勝算は少ない。

アーティストの理念と労働者の生活のニーズにはずれがある。労働者と家族のなかには、逮捕を警戒し、アーティストたちの活動に困惑する者もいる。ある労働者の妻は夫の活動に「自分は最初から反対。地道に暮らせばいいのよ」と言う。しかし、その妻が、別の場面では赤いすてきな服を着てメイクアップし、アーティストと労働者の集まりで得意の歌を披露する。監督が労働者とともに占い師を訪ねる場面もおもしろい。訴訟の見込みを「悪くない」と言う男性の占い師に訴訟に縁起の良い日を挙げてもらい、皆で機嫌よく帰っていく。そんな些細なエピソードが描かれるにつれて、アーティストと労働者の波長が合っていくように見える。

他方で、政府と法律の正統性についてアーティストと労働者の考えがすれ違う現状をあらためて浮き彫りにする場面もある。ワン監督は労働者ととともに「中華人民共和国労働法」を読み合わせるパフォーマンスを行う。上からスポットライトが照らされたスタジオ。労働者たちは労働法を読み、労働争議調停委員会は会社側の人間で構成され労働者の味方ではないことを確認する。床に何冊もの労働法の本がばらまかれている。監督は自分の指を傷つけ床に置かれた本に血を垂らす。一冊の本が上下を逆にした状態でカメラに大写しになると、監督はその本の各ページに血を塗りつけ、さらに一冊の本を手に取り突然ページを引きちぎり、口に入れる。1枚、2枚、3枚。そのまま飲み込んでしまうのかと思いきや、うめいて紙を吐き出す。監督は、本を床に投げつけ、何が法律だ、こんなもの役に立たないと吐き捨てるように言う。困ったように監督を見つめる労働者たち。労働法の本を破るのは過激すぎる、法律は公正で執行する個人に訴えたいだけと苦言を呈する。そして、監督が破り捨て紙くずとなった本の横で、労働者たちは労働法を読み続け、書いてあることを理解しようとする。それは共産党の本来の理念実現への願いでもあるだろう。方向性や考え方の違いこそあれ、両者が同じ問題に真剣に取り組む事実を告げる鮮烈な場面だ。

映画の終盤、50代半ばで亡くなった仲間の家で、労働者らが遺影を前に涙を流す。胸に白い花をつけ、花輪で墓を飾り爆竹を鳴らしてお参りをする。強い風が吹くなか、寒々とした風景が労働者たちの無念を表しているようだ。風の音がいつまでも鳴り続ける。

労働者たちが求める補償は最後まで得られない。ラストで中国語による「インターナショナル」の素朴な歌声をバックに、労働者たちの名前と一人一人の上半身裸の写真が映し出される。労働者たちの写真はあくまでも田舎の中高年らしく、その体は、長年の労働や困難に負けず仲間と一緒に権利を訴えてきた事実を無言のうちに物語り、彼らに対する監督の敬意を表している。それらに混じるワン監督とアーティストたちの上半身裸の写真は、彼らと仲間として活動してきたことへの誇りと連帯のしるしのようだ。