Yearly Archives: 2019
山形市中央公民館6Fと山形市民会館大ホールで上映されるインターナショナル・コンペティション作品では、10作品の監督において、上映後の質疑応答が予定されています。そして質疑後には、山形市中央公民館では4Fのギャラリースペースにて、山形市民会館ではロビーにて、それぞれさらにトーク時間が設けられており、例年作品に対する熱意ある質問が飛び交います。
10月11日の『光に生きるーロビー・ミューラー』上映&質疑終了後にもギャラリートークが開催され、クレア・パイマン監督の作品づくりに対する質問が様々な角度から寄せられました。そのやりとりの一部をご紹介します。
ーー監督が「ロビー・ミューラーとはどのような人か」と聞かれたらなんと説明しますか?
パイマン:“とても正直な人”と答えます。撮影監督にありがちなマッチョなところはなく、プライベートでも仕事でも上下関係を嫌う人でした。例えば、私が「撮影監督を目指しているからアシスタントはやらない」と話した時にも、ロビーは同じ目線で語り合ってくれました。本当に、自分の信じる真実に対して正直な人です。
ーー作中のロビーの言葉に「撮影でもっとも重要なのは光だ」とありましたが、監督の光に対する、特に白黒映画においての光に対する考え方は?
パイマン:衣装、映画のムード、コントラストにおいて、光は非常に重要なものであると考えています。カラーは情報を与えすぎて本質的なものから目をそらさせることになるため、ミューラーは『ダウン・バイ・ロー』(1986年)では、あえてモノクロにしています。
ーー編集する上で難しかったことは?
パイマン:はじめから「ロビーはこんな人だった」と見せるより、観客一人ひとりに彼の人物像をつくり出してもらえるような編集にしたかった。だから例えば、ジム・ジャームッシュの「遊び心のある人だった」というコメントのあとにロビーの姿を映すことはやめました。証拠を提示するものではない、ということを作品をつくるなかで重視しました。
ーーロビーから学んだことはどんなことだったのでしょうか?
パイマン:真実に忠実であること。映画アカデミーを卒業したての頃、男性よりも仕事ができるようにしなければと焦りを感じていました。けれどもロビーは「君が君のままであることを受け入れてくれる監督に出会えるまで、妥協しないほうがいいよ」とアドバイスをくれた。それからというもの、私は自分が感じたことを仕事に投入できるようになりました。そのことをとても幸せに思います。
昨日夕方、山形国際ドキュメンタリー映画祭2019の開会式が行われ、いよいよ開幕となりました!開会式後はグランドホテルに会場を移し、映画祭ゲストや関係者が集ってのウェルカムパーティーが開かれました。
カルテットの演奏から始まったパーティーですが、各プログラムのコーディネーターが上映作品監督の名前を呼んで紹介すると、嬉しさと恥ずかしさの入り混じった表情で壇上に上がるゲストたち。
このたびインド北東部に初めて視聴覚アーカイブが創立され、山形国際ドキュメンタリー映画祭のフィルムライブラリーとの提携が決まっていることから、今後の交流を祈念して、アリバム・シャム=シャルマ監督と、当映画祭理事長の大久保義彦とがプレゼントを交換。大久保理事長に代わり、ストールなどの贈り物を受け取った加藤到副理事長。大久保理事長筆による「和」としたためられた色紙をシャルマ監督に手渡すと、シャルマ監督は両手を合わせて体いっぱいに感謝の意を表しました。
会場では、シャインマスカットや山形県産米「雪若丸」の塩むすびなどが並び、蕎麦職人によって打ち立ての蕎麦が振る舞われるなど大盛況。山形の食で胃袋を満たしながら、再会を喜ぶ笑顔があちこちで見られました。
【大切なお知らせ】
ドキュ山マルシェ、台風の影響を鑑みまして開催内容に変更が出ております。
12日(土)はロビー内での開催、以降は予定通り広場で行います。
期間は変わりはございません。どうぞよろしくお願いいたします
■ドキュ山マルシェ Docu-Yama Market 2019
■10月12日[土]~14日[月・祝]10:00-17:00
■会場:山形市民会館前広場
❚October 12 (Sat)–14 (Mon) 10:00-17:00
❚Venue: Square in front of Yamagata Citizens’ Hall
【大切なお知らせ】
フィンランドサウナの開催スケジュール、台風の影響を鑑みまして変更しました。12日(土)の開催はなくなりました。
[日時]10月13日[土]-14日[月]13:00-18:00/15日[火]15:00-19:00
山形市民会館前広場にて
どうぞよろしくお願いいたします
みどころ
開催地にして発信地である創造都市〈山形〉を多様な視点で検証する「やまがたと映画」。
本映画祭第一回開催の奮闘を記録した映画『映画の都』と、転換期を追う『映画の都 ふたたび』を通じて30年の歴史をふりかえります。2000年に山形でおこなわれた舞踏家・大野一雄の舞踏映像の初上映や、川口隆夫による、大野一雄にインスパイアーされたダンスパフォーマンス「大野一雄について」も予定。そのほか、新庄にあった日本唯一の雪害研究所を映像と証言で探る『雪国』上映とトークのほか、映画祭参加者が持ち寄る8ミリフィルムを楽しむ「ホームムービーの日」、県教育センター秘蔵の16ミリフィルム上映や、県内映画館に関する貴重な資料展示、伝承文化の映像上映などがあります。15日(火)には、山形まなび館にて「YIDFF30年:これまで、そして、これから」というトークセッションも急遽開催が決定しました(入場無料)。スタッフと観客、そしてゲストがともに育ててきた映画祭の歩み続ける原動力を知っていただける良い機会になるかと思います。是非ご参加ください。
東北芸術工科大学、科学研究費プロジェクト
Tohoku University of Art and Design,
Grants-in-Aid for Scientific Research Project
『O氏の肖像』Portrait of Mr. O
監督:長野千秋/日本/1969/65分
横浜市保土ヶ谷の大野一雄の自宅周辺、稽古場、当時勤務していた学校のボイラー室などで撮影された。「生活が踊りの先生」と言っていた大野の「生活」が舞台となっている。音楽も大野自身が演奏している。
『O氏の曼荼羅 遊行夢華』Mandala of Mr. O
監督:長野千秋/日本/1971/122分
自身の稽古場のほか、迦葉山(群馬)、猿島(神奈川)などで撮影した。加藤啓、なかむらもりつな、小野寺あつこら弟子たちが共演。第一作の「肖像」を描く視点から、本作ではより内面世界を探ろうとしている。
『O氏の死者の書』Mr. O’s Book of the Dead
監督:長野千秋/日本/1973/88分
長野氏によると、「肖像」から「曼陀羅」に向かい、O氏シリーズの終わりと甦りを込めて「死者の書」を制作したという。高井富子、上杉満代(貢代)ら大野一雄舞踏研究所研究生が総出演。大野一雄の故郷・北海道でロケを敢行。
YIDFF30年:これまで、そして、これから
YIDFF Thirty Years: Our Past and Our Future
『映画の都』A Movie Capital
監督:飯塚俊男/日本/1991/99分
1989年、アジアで初めてのドキュメンタリー専門の国際映画祭の誕生をなんとか記録に残したいというボランティアグループ、YIDFFネットワークの熱意から生まれた第一作。撮影から初期編集段階までは、YIDFFネットワークの活動の記録に主眼を置いていたが、最終的には編集権が飯塚俊男監督から小川紳介に渡っていく。そんな矛盾を抱えた本作だが、天安門事件、ベルリンの壁の崩壊など、世界の歴史が大きく動いた時代の空気を、確実に記録にとどめている。
『映画の都 ふたたび』A Movie Capital Again
監督、編集、製作:飯塚俊男/日本/2007/90分
『映画の都』から16年、当時の未使用フィルムを使って1989年版の再構成映画の制作を模索する飯塚俊男監督が遭遇したのは、本映画祭始まって以来の大転換期だった。民間NPOへの独立をめぐって賛否両論飛び交う中、カメラは回り始める。
映像で見つめるYAMAGATA
Yamagata Through Images
『雪国』Snow Country
監督:石本統吉/日本/1939/38分
新庄に雪調が設置されて6年後に公開された本作は、豪雪に降り込められて生きる人々のありさまを細やかに伝え切って、観る者に驚き与え、生きるという営みへの深い感慨をもたらす。大村英之助、石本統吉らの芸術映画社によって、足かけ3年の長期撮影を経て完成し、日本のドキュメンタリー映画の原点とも言われる傑作。「雪調」の存在の必要性を裏付けるに十分な、力感溢れる一級の映像的資料でもある。
『最上川のうた─茂吉─』Mogamigawa no uta: Mokichi
監督、構成:松岡新也/日本/制作年不明/46分
斎藤茂吉の歌をたて糸に、最上川の自然をよこ糸に、その流域の歴史、文化、産業を描く文部省特選映画。
『若い力』Wakai chikara
日本/制作年不明/16分
農村の青年が新しい農業を目指し、意欲と技術の向上を目指す姿を描く。
『やまがた 水とくらし』Yamagata: Mizu to kurashi
日本/1979/28分
恵まれた自然をいつまでも保ち続けるために、いま何をすべきか考えながら、水と私たちのくらしの関わり、水の大切さについて理解を深める、山形県教育センター制作作品。
『世界一と言われた映画館』■バリアフリー上映
The World’s “Top” Theater ■ Handicapped-Accessible Screening
監督、構成、撮影:佐藤広一/日本/2017/67分
「西の堺、東の酒田」と称される商人の町・酒田市には、“世界一デラックス”と言われた映画館「グリーン・ハウス」があった。1976年、 酒田大火の火元となったグリーン・ハウスは、人々の記憶から半ば抹消されてしまう。そして今、40年の沈黙を経て語られる、かつて映画館を愛した人たちによる貴重な証言集。
映画祭と山形滞在を楽しむオススメ情報をお届けするシリーズ【楽しんでけろ!山形映画祭】。
第8回のテーマは「ユニークな催しが目白押し!上映・イベント会場のご紹介」。
30周年を迎える今年の映画祭では、山形市中心街の6カ所9会場で個性豊かなプログラムの上映、その他にも映画祭関連イベントを街中のお店で開催予定です。
映画祭プログラムの各上映会場へのアクセスや楽しみ方などをご紹介します!
会場マップ
映画祭プログラムの上映会場はこちら!
〈プログラム〉開会式、インターナショナル・コンペティション、審査員作品、特別招待作品、表彰式、受賞作品上映、ほか
山形国際ドキュメンタリー映画祭のメイン会場。山形市中心部にある芸術・文化を中心とした機能を持複合施設ビル「アズ七日町」の6階にて、開会式・閉会式・プログラム上映、関連グッズの販売を行ないます。
ロビーの窓からは市街地と山並みを見渡すことができ、開放的な空間です!
〈プログラム〉
大ホール:インターナショナル・コンペティション、審査員作品、受賞作品上映
小ホール:AM/NESIA:オセアニアの忘れられた「群島」、Double Shadows/二重の影 2
山形駅から徒歩7分ほどの位置にある市民ホール。プログラム上映の他に、関連グッズの販売や広場での軽食スタンド、フィンランドサウナなどのイベントも開催予定!
〈プログラム〉
5:アジア千波万波、アジア千波万波 特別招待作品、やまがた創造都市国際会議2019
3:アジア千波万波、アジア千波万波 特別招待作品、やまがたと映画
山形市民会館のとほぼ隣り合う映画館フォーラム。緑の看板が目印です。レトロな雰囲気が漂う映画館で、上映の合間にソファでゆったりくつろぐのもいいですね!
※フォーラム山形で映画をご覧のお客様は4時間まで駐車料金が200円です。
〈プログラム〉春の気配、火薬の匂い:インド北東部より、リアリティとリアリズム:イラン60s-80s、日本プログラム、フィンランドサウナ×映画、特別招待作品
〈劇場へのアクセス〉山形駅直結の霞城セントラルビル地階にあります。
改札を出たら、左へ。
↓
↓
突き当りを右へ。
↓
↓
表示の方向に進むと右奥に地下1Fソラリスへ降りるエスカレータがあります
霞城セントラル内や山形駅ビル内でお食事やお買い物を楽しむことができます!
〈プログラム〉
1:「現実の創造的劇化」:戦時期日本ドキュメンタリー再考、やまがたと映画、春の気配、火薬の匂い:インド北東部より、審査員作品、特別招待作品
2:ともにある、やまがたと映画、ヤマガタ・ラフカット!、YIDFFネットワーク特別上映
山形駅から徒歩10分ほどの位置にある山形美術館。大きな三角屋根が目印です。近くには霞城公園と園内の博物館や郷土資料館、お隣は最上義光記念館(入場無料)があり、空いた時間に各施設の見学や広場でのんびり過ごすこともオススメです。
〈プログラム〉
やまがたと映画、YIDFFネットワーク特別上映
山形駅から徒歩約12分。昭和2年に山形県下初の鉄筋コンクリート造校舎として建設された山形市立第一小学校旧校舎を、平成22年から、「観光」「交流」「学び」の拠点施設「山形まなび館」として活用した施設です。
山形の様々なアートプロジェクトの情報も集まっているので、ぜひチェックしてみてください!
山形市中央公民館、山形市民会館、フォーラム山形、ソラリス、山形美術館、山形まなび館にはバリアフリー・トイレがあります。
会場への移動はべにちゃんバスがオススメ!
山形駅と中心市街地(映画祭会場)を結ぶ巡回バス「ベニちゃんバス」(乗車100円)も15分おきに運行しているので、こちらの利用もオススメです!
詳細はこちら
https://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/kakuka/kikaku/kikaku/sogo/pd0510085137.html
期間中のインフォメーションデスク
映画祭期間中のお問い合わせはインフォメーションデスクへ!
山形市中央公民館(アズ七日町)正面入口と山形駅に設置していますので、分からないことがあればお気軽にお声かけください。
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映画祭に関するお得なサービスのご案内や、チケット・グッズの販売、プログラムの最新情報は、
映画祭公式WEBサイト・facebook・twitter・Instagram・ドキュ山ライブ!を、ぜひチェックしてみてくださいね!
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ではでは、楽しんでけろな〜!
ライター:藤 あかね
みどころ
今やすっかり浸透している「ドキュメンタリー」という存在について、一度考え直してみませんか?「戦時期」と題した特集ですが、わかりやすい戦争プロパガンダの作品は一つもありません。上映する17本のどれもが複雑な思いや背景のもと、個性的な題材を取り上げ、幅広い技法を模索したものばかり。有名な『機関車C57』『小林一茶』『或る保姆の記録』はもちろん、『知られざる人々』『炭焼く人々』『土に生きる』『石の村』といった珍品(?)も必見。その作り手たちが触発されていたイギリスやソ連の古典ドキュメンタリー作品群と見比べてみるのも一興です。まずは五つのセクションの中から、気になるテーマを選んでみてはどうでしょうか?
国立映画アーカイブとの共催で、ほとんどの作品の希少なフィルムプリント上映にこぎつけました。美術館の一角に出現する即席映写室も見どころかもしれません。さらに、13日のサイレント作品『流網船』と『トゥルクシブ』は、山形在住の作曲家・鈴木崇さんのバイオリン生伴奏付きで上映!ライブ感覚で楽しんでください。より思索を深めたい方には、マーク・ノーネスさん、フィオードロワ・アナスタシアさん、岡田秀則さんのトークをおすすめします。
そして結局、当時の「ドキュメンタリー」とは、「現実の創造的劇化」とは何なのか?それはぜひ、皆さんの目で確かめてください。きっと現在につながるものが見えてくる、映画祭30周年にドキュメンタリーの原点に立ち返る特集です。
労働を綴る
Depicting Labor
『流網船』Drifters
監督、編集:ジョン・グリアスン/イギリス/1929/48分[20fps]
「ドキュメンタリー」という言葉を世界的に広めたイギリス・ドキュメンタリー映画運動の立役者、ジョン・グリアスンによる代表作。従来の劇映画が扱わなかった労働の現場に目を向け、近代漁業に携わる人々の姿を生き生きと描き出した。一連の漁獲作業のみならず、漁船のメカニズム、漁師たちの衣食住、水中の魚や上空の鳥、嵐の襲来などの種々の要素を巧みに織り交ぜている。水揚げした魚の売買といった交易活動までを労働の一環として語るアプローチは、その後のドキュメンタリー映画で大いに参照された。
『炭焼く人々』People Burning Charcoal
構成:渥美輝男/日本/1940/19分
東北の冬の山村、昔ながらの炭焼き暮らし。かまど用の石集めに始まり、木炭が出来上がり、売られてゆくまでの過程を丁寧にたどるなかに、火加減を見つめる男のクロースアップや雪原を進む者たちのロングショットが挟まり、詩情を添える。わずかに得た収入で食糧品などを求めるやりとりも同時録音で収められている。作者の渥美曰く、「現実に働く人々の演技」を求め、現地で出演者を探した。猛吹雪に襲われる終盤のシーンではそうした「演技」が発揮されている。
『和具の海女』The Ama Divers of Wagu
演出:上野耕三/日本/1940/25分
元プロキノ(日本プロレタリア映画同盟)の上野が、映画批評活動を経て制作現場に復帰した第一作。三重・志摩半島の和具町に暮らす海女たちのたくましい働きぶりを丹念に描く。当時の最新技術による自在な水中撮影と、そこに映し出された海女の伸びやかな身体が、ひときわ目を引く。彼女たちのリラックスした表情や浜辺の賑わいも、現場音を取り入れながら印象的にとらえている。と同時に、女性労働の苛酷さをも伝える。
土地と鉄路
Land and Rail
『トゥルクシブ』Turksib
監督:ヴィクトル・トゥーリン/ソ連/1929/74分[18fps]
革命ソ連の一大事業であったトルキスタン・シベリア鉄道の建設計画を、壮大なスケールで語った長篇。中央アジアを見舞う旱魃、停滞する綿花産業、ラクダ頼みの荷物運搬といった厳しい現実をじっくり提示してから、測量隊の登場を経て、その一切を解決する鉄道建設へとたたみかけていく。1930年前後の日本で公開された数少ないソ連作品であり、後に文化映画界に集った作り手たちが「理想」として繰り返し参照し、イギリスではグリアスンが自ら英語版の挿入字幕を作って上映した。無声ドキュメンタリー映画の一つの到達点。
『白茂線』Hakumo-sen
演出:森井輝雄/日本/1941/21分 ※不完全版
日本統治時代の朝鮮総督府が現在の北朝鮮に敷設した「拓殖鉄道」白茂線。その周辺住民の生活と季節ごとの風景をスケッチする。ケシ栽培、木材産出、筏による川下り、ガソリン車が届ける食糧配給、吹雪の中の鉄道運行……。現存するバージョンは、編集がたびたび不自然に途切れることから、不完全版と考えられる(1941年の広告では4巻もの[40分前後]と記載されている)。冒頭で「大東亜戦」への言及があるため、太平洋戦争開戦後に公開されたと推測される。
現場の呼吸
The Pulse of the Workplace
『造船所』Shipyard
監督:ポール・ローサ/イギリス/1935/24分
1930~50年代を通じて日本の記録映画業界で広く読まれ論じられた書籍『Documentary Film』(厚木たか訳、当初の邦題は『文化映画論』)の著者であるポール・ローサが、客船・造船会社の出資で手がけた監督作。イギリス北部の造船の町を舞台に、巨大客船が造られるまでの9ヶ月の工程を追う。ソ連アヴァンギャルドの影響を感じさせるモンタージュと全篇にわたって響くドリルや旋盤などの機械音が、近代産業のスペクタクル性と労働者階級の地道な現場、その双方の描写を両立させている。
『機関車C57』Locomotive C57
監督:今泉善珠/日本/1940/45分
当時の旅客用蒸気機関車の代表格「C57型」にフォーカスを当て、堂々たる躯体そのものと機関士たちの仕事ぶりを4部構成でとらえる。車庫内での定期車体検査、投炭練習を中心とした機関士養成訓練、運行前後の念入りな整備作業、そして鉄路をひたすら驀進する機関車。最終部では、車体の上にも横にも据えられたカメラが、現地録音とあいまって、迫力ある臨場感を生み出している。水戸・高崎機関区に半年ほど通って行われた撮影には、現場の機関士たちも積極的に協力したという。
『知られざる人々』Unknown People
監督:浅野辰雄/日本/1940/12分
東京中心部の下水設備で働く人々にカメラを向け、ナレーションを加えずに現場音と合唱の歌声で語らせた異色短篇。困難な撮影条件のなか、下水道内部に映える陰影や、労働者の表情を切り取ったクロースアップ、生々しく響く作業音など、実験的な技法が盛り込まれている。地面の下の「知られざる」労働に携わる人間を凝視する姿勢に、左翼運動出身の浅野の信条が垣間見られる。
言葉・響き・リズム
Words / Sound / Rhythm
『石炭の顔』Coal Face
監督、音響監督:アルベルト・カヴァルカンティ/イギリス/1935/11分
フランスでアヴァンギャルド映画を手がけていたカヴァルカンティがイギリス・ドキュメンタリー映画運動に加わり、当地の石炭産業を紹介した短篇。既存の撮影フッテージを多用し、そこに若き日の作曲家ベンジャミン・ブリテンによる音楽、新進詩人W・H・オーデンが筆をとった詩文の朗読が組み合わされる。リズミカルな詩・ピアノ・歌声と映像のモンタージュとが折り重なり、炭鉱夫たちの働きぶりや重機のメカニズムが重厚に表現される。
『夜行郵便』Night Mail
監督:ハリー・ワット、バジル・ライト/イギリス/1936/24分
ロンドンとグラスゴーを行き来して郵便物を運ぶ夜行列車と、それに従事する人々を描いたイギリス・ドキュメンタリー映画運動の代表作の一つ。緻密な構成をもとにカット割りがなされ、セット撮影まで含まれているように、劇映画の手法が多く取り入れられているが、出演しているのは実際の郵便局員たちである。走行中の列車から郵便荷物を落下させる仕組みに焦点を当てつつ、最後はテンポよく朗読されるオーデンの詩で締めくくられる。『石炭の顔』のブリテンとカヴァルカンティが本作の音楽・音響にも携わる。
『信濃風土記より 小林一茶』Kobayashi Issa
演出:亀井文夫/日本/1941/27分
ご当地出身の俳人・小林一茶の句を巧みに織り込みながら、厳しい自然環境におかれた庶民の暮らしの実態をあぶり出す。演出の亀井文夫が前作『戦ふ兵隊』(1939)の上映禁止を経て、長野県の観光事業を紹介する「信濃風土記三部作」の一篇として手がけた。風光明媚な棚田、人で賑う善光寺、富裕層の集まる軽井沢といった光景の内実を、一茶のわびしい句、夢声の諧謔味あるナレーション、そして入念なモンタージュによって変転させている。その批判性の強さが問題となり、文部省から「文化映画」に認定されなかった。
『石の村』Village of Stone
監督、構成:京極高映(京極高英)/日本/1940/10分
栃木県城山村(現在の宇都宮市)の特産品である大谷石を採掘する人々を描く。ダイナミックな現場に合わせた臨機応変なカメラワークと、石に打ちつけるツルハシの乾いた響きや、軽快に流れるピアノの音色とが調和している。巨大な地下採掘場では撮影用ライトの電源が使用できず、発炎筒を照明代わりにしたため、苦心を重ねたという。戦後にわたって長らく活躍した京極が、家族総出で勤しむ地場産業のありようを浮かび上がらせた初期作品。
『土に生きる』Living by the Earth
演出、撮影:三木茂/日本/1941/9分 ※不完全版
劇映画のキャリアを経て東宝文化映画部の名カメラマンとして知られた三木が、初めて演出まで担った一作。民俗学者・柳田國男に指南を仰ぎ、1年ほどかけて秋田県下の農村の生活風俗を記録した。完成時の長篇6巻(60分前後)のうち、現存するのはわずかな部分だが、盆踊りや民謡の豊かな音色が響き、農民たちの米作りの手さばきが丁寧にとらえられ、広大な田園風景が空撮をまじえて収められている。三木は最晩年にも柳田民俗学をテーマとした作品に取り組んだ。
生活を撮る
Filming Life
『住宅問題』Housing Problems
監督、製作:アーサー・エルトン、エドガー・H・アンスティ/イギリス/1935/15分
ロンドンのスラム街の劣悪な居住環境を次々と明るみに出し、さらにその解決策としての住宅整備を提案する。住民たちがカメラとマイクに向かって自らの意見を語るという、今日では常套的なインタビュー形式の原型と言える手法を採っているが、出演者たちは一定の指導を受けたうえで撮影に臨んだという。模型を用いた建築計画の解説も挟みつつ、ラストは赤ん坊も老人も犬も猫も集まる路地裏の光景に、実情を訴える住民たちの声が重なる。住宅整備をつうじたガス利用の普及を見込んだ業界団体が出資した。
『医者のゐない村』Village Without a Doctor
監督:伊東寿恵男/日本/1940/13分
岩手県の山村にカメラを持ち込み、無医村の深刻な実態を直截に伝えながら、巡回診療班の活動を紹介した一作。都市部の最新の病院施設と前近代的な農村の家々や病人たちとの対比、そうした村の窮状を救うべく登場する診療班の描写など、明瞭な語り口が展開される。終盤では、病に伏せる老若男女のクロースアップに字幕を重ね、巡回だけでは未だ不十分と訴えかけたのち、村民自身による診療所の設置を提言する。監督の伊東は戦後すぐ、『広島・長崎における原子爆弾の効果』(1946)の制作に携わった。
『農村住宅改善』Renovating Farm Houses
監督:野田真吉/日本/1941/20分 ※戦後公開版
民俗学・建築学者の今和次郎(作中に出演)が取り組んでいた農村住宅の改善運動を題材に、東北地方の農家の住居にみられる問題点をつぶさに指摘し、具体的な改善策を示している。家の間取り図を用いたアニメーションによって、主婦の朝の仕事における動線の無駄を明らかにしていく中盤のシーンは斬新で、戦後に個性的なドキュメンタリーを次々と手がけた野田の傾向がすでに見てとれる。現存するのは戦後公開版で、冒頭とラストの各1分半ほどのシーンと全篇にわたるナレーションはそのさいに追加されたと推察される。
『或る保姆の記録』Record of a Nursery
監督:水木荘也/日本/1941/35分 ※戦後公開版
東京の工場街にあった戸越保育所の先進的な取り組みを保姆の視点で描き、子どもたちの自然な姿をありありと活写した一篇。脚本と構成を担った厚木(ローサ著『Documentary Film』の邦訳者)によれば、保姆たちと交流を深めた結果、彼女らも撮影現場で「スタッフの協同者」として積極的なシーン作りを引き受けたという。演出の水木も柔軟なカメラワークと同時録音を駆使し、花壇作り、歌あそび、給食、運動会といった、保育所の日々の営みをすくい取った。戸越保育所の設立者が芸術映画社の代表・大村英之助の妻の鈴子であったことも製作の背景にある。6巻(60分前後)の長篇だったが、現存するのは戦後の短縮版のみ。
みどころ
チベット、中国、ミャンマー、バングラデシュに囲まれたインド領。現代のグローバル政治経済の観点から見ると、明らかに地政学的な要所である。ユーラシア大陸を横断するアジアハイウェイは今、インパールを通る。日本帝国軍のかのインパール作戦の末、悲惨な戦禍の現場となった土地でもある。
ここには200以上の言語を使うたくさんの民族が共存する複雑な文化の交差点だが、独立運動や紛争に対するインド軍の圧力はこれまで人々の暮らしを脅かしてもきた。
今回の特集では、暴力や弾圧、民衆蜂起や社会混乱から少し時間的な距離のある過渡期の「春の気配」の中、各地の映像制作者たちがそれぞれの方法で時代を捉えた映画が並んでいる。また、時代のグローバリゼーションの中で変わりゆく歌、橋づくり、村の自治、女性の主権、価値観の変化に取り組む人々の姿が映されている。
でも映画としてはどうなの?と聞かれるが、これが面白いのだ! しっとりした風景に込められた記憶の傷、ネット上の動画を多用した速いカッティングのコラージュ、ヌーヴェルヴァーグ時代のゴダールのような自由さと遊び心が満載の作品、技術力と演出力の王道を駆使したフィルム時代。
映画館ソラリスのロビーはエスニックで手作りの飾りつけに見違えります。6人のゲストが現地から持参したスナックも振る舞いますので、ぜひおいでください。
A. 硝煙弾雨の後、アッサムの記憶
After the Smoke and Ammo: Assam’s Memories
『秋のお話』An Autumn Fable
監督、ナレーション:ピンキー・ブラフマ・チョウドリー/インド(アッサム州)/1997/45分
12人の怪力と食欲を誇る魔男、獣に化けて王座をねらう王子、剣術に長けた美しい姫─。毎年秋になるとボドの村々の夜空の下で、音楽、歌、踊り、立ち回りの民俗劇が演じられる。一方で、自治を求めるボド独立運動は武装闘争として泥沼化し、コミュニティは崩壊に瀕していた。恐怖と不信から沈黙が生まれ、武装した兵士、難民キャンプ、破壊の爪痕が……。それでも悠久の大地の声は、物語や劇を通してかすかに息づいていた。伝承と記憶がこの地の人々に生きる活力を呼び起こすことに願いをこめた、ボド出身の女性監督の作品。YIDFFʼ99アジア千波万波で上映。
『僕らは子どもだった』Tales from Our Childhood
監督、脚本、撮影、編集:ムクル・ハロイ/インド(アッサム州)/2018/アッサム語/69分
亡くなった革命兵士の戦闘服を幼なじみに着せてポーズをとらせる。別の友人は古い日記をひもとく。少年時代に演じた劇の台本を仲間どうしで読み合わせする。反政府運動家が書いた詩を朗読する。映画づくりは、1990年代にアッサム州で育った監督の子ども時代の記憶をよみがえらせる旅路。かの激動の時代、アッサム統一解放戦線(ULFA)がインドから独立を目指す武装闘争を率いていた。暴力や死、行方不明者は、日常生活の一部だった。1991年生まれの俊英が友人、両親、親戚の語りから記憶の断片を引き集め、時代を再構成する。
B. 悠久の時間、風景が語るもの
Timelessness in the Landscape
『老人と大河』Old Man River
監督、脚本、撮影:ゴータム・ボラ/インド(アッサム州)/2012/52分
川の流れのように……。クラク・ペグ老人の100歳を超える人生は、ブラフマプトラの大河と命運を共に歩んできた。中州や岸辺の草地で牛と水牛を放牧し、水がはけた季節に肥沃な土地で作物を耕し、子や孫ら大家族を養ってきた。豪雨、洪水や川岸の浸食に遭っても、大河は生命をもたらし、生命を奪う存在であることを受け入れてきた。政府の河岸対策も効果を見せない。この世の力で自然は支配できない、と老人は言う。そして近年はとみに気候変動が予測不可能なのだ。牛の群れが濁流のなか、草地のある岸まで何時間も泳ぐシーンが圧巻。
『田畑が憶えている』What the Fields Remember
監督、脚本:スバスリ・クリシュナン/インド(アッサム州)/2012/52分
1983年2月18日の午前9時から午後3時の間、アッサム州の町ネリーと、近隣の村々で2千人以上もの人が殺された。彼らはベンガル語を母語とするイスラム教徒だった。人家は焼き払われ、田畑はつぶされた。亡くなった人の多くは老人、女性、子どもだった。ネリー事件は今日にいたるまでインド正史の余白に押しやられ、国家的記憶からほぼ消されている。この映画はその30年後に事件を再考する。生存者たちの証言は、喪失の哀しみと癒されない記憶の痛みにあふれる。虐殺の現場であった田園風景を見つめ、脳裏に刻み込まれる記憶や歴史と向き合う。
C. アリバム・シャム・シャルマの文化映画
Culture of the Northeast by Aribam Syam Sharma
アリバム・シャム・シャルマ(1936-)はナント三大陸映画祭グランプリの『My Son, My Precious』(1981)、カンヌ映画祭のある視点部門に選ばれた『The Chosen One』(1990)など、これまで14本の劇映画、31本の短編・記録映画を作ってきたインド北東部を代表する映画監督。『マニプールの蘭』『ライハラオバの踊り』では、自ら作曲し歌も歌う監督の、マニプール伝統音楽や踊りへの深い造詣と関心が見られ、自然環境と文化芸術の関係を明らかにする。『アルナーチャル州モンパの民』は、ブータンに近い山岳地に暮らすチベット仏教を信仰するモンパ族を取材した文化映画。ここでも農作業や織り機を動かすリズムと動き、年一度の祭りと踊りに見る信仰と表現に注目する。
『マニプールの蘭』Orchids of Manipur
監督、音楽:アリバム・シャム・シャルマ/インド(マニプール州)/1993/28分
『ライハラオバの踊り』Yelhou Jagoi: The Dances of Lai Haraoba
監督:アリバム・シャム・シャルマ/インド(マニプール州)/1995/35分
『アルナーチャル州モンパの民』The Monpas of Arunachal
監督、音楽:アリバム・シャム・シャルマ/インド(アルナーチャル・プラデーシュ州)/2001/20分
D. 時代を超える歌
Song Forever
『こわれた歌、サビンの歌』The Broken Song
監督、脚本、音楽:アルタフ・マジド/インド(アッサム州)/2015/52分
歌で物語を語り継ぐカルビ人の伝統芸能に、サングラスをかけたギャングや高級車を登場させ、現代の村を舞台にしたミュージカルに仕立てた遊び心たっぷりの映画。ヒンドゥー信仰のないカルビ文化なのに、古代インドの大叙事詩ラーマヤーナでおなじみの人物とあらすじが底流にマッシュアップ。ラボンがラーマの妻シータを誘拐したのは、妹サビンの鼻を切り落とされたからだった……? 何世代にもわたる口承文化の記憶と神話を現代に開いていく。批評家出身の故アルタフ・マジド監督は、国際批評家連盟賞の審査員としてYIDFF 2001に参加した。
『ルベン・マシャンヴの歌声』Songs of Mashangva
監督、撮影、製作:オイナム・ドレン/インド(マニプール州)/2010/62分
ルベン・マシャンヴはタンクル・ナガの村々を旅しながら、お年寄りから話を聞き、古い歌や楽器を収集する。そのリズムやメロディー、歌詞は「ナガ・フォーク・ブルース」と自称する自らの音楽に直結する。伝統的なハオクイラット式の髪型とウェスタン・ブーツのいでたちで、9歳の息子を伴いインド各地や東南アジアを広く演奏旅行で回る。そのメッセー
ジは「西洋文化に劣等感を持つことはない」「自分の文化に誇りを持て」。かつてキリスト教宣教師のあまりの“熱心さ” は、一世紀にわたって続いたタンクル・ナガの民族音楽を根絶しかけたのだ。
E. 山の民、水の民 時代の軋み
People of the Mountain, People of the Waters: Creaking of Times
『森の奥のつり橋』In the Forest Hangs a Bridge
監督、脚本、製作:サンジェイ・カク/インド(アルナーチャル・プラデーシュ州)/1999/39分
シアン峡谷の川に掛かるつり橋は、アルナーチャルの山林に住むアディの民が誇る技術のたまものである。村の男たちは共同作業で森から籐と竹を切り出し、長さ300メートルの橋を毎年作り直すことを13世代にわたって続けてきた。鉄をたたいて作ったナタが唯一の道具。そして今、材料に鋼鉄のワイヤーが導入され、学業や仕事で山を離れる若者が多くなってきた。インド本土の撮影隊が撮ったこの映画は、時代の変わり目を捉えた決定的な記録となった。アディの人々に対する敬意と親密なまなざしを向け、コミュニティの強さとはかなさを映し出す。
『浮島に生きる人々』Floating Life
監督:ハオバム・パバン・クマール/インド(マニプール州)/2014/52分
インド北東部最大の淡水湖ロクタク湖は、自然の有機物の浮島が無数に点在していることで知られる。マニプール州政府は2011年、浮島に住む人々の生活排水が湖水を汚染しているとして、何百もの家々に火を放った。生態系との調和の中でつつましく暮らしていた漁民の暮らしを重機が破壊する強制執行。支援者と共に当局への抗議行動を続けるためにも、小屋を建て直し、子どもに食事を食べさせる日常を丁寧に撮影している。監督はその後、出会った人たちを主人公に初の長編劇映画『Lady of the Lake』(2016)を製作し、世界各地で好評を博した。
F. インド情報放送省映画局 40年をはさんで
From Films Division, the Ministry of Information & Broadcasting, 40 Years Apart
『ナガランドの胎動』New Rhythms in Nagaland
監督、脚本:プレム・ヴァイディア/インド(ナガランド州)/1974/46分
長年、独立を求める勢力の紛争が絶えないナガランド。インド政府の視点から作られたこの情宣映画では、1963年に州となってから中央政府の重点支援のおかげで経済やインフラ整備が飛躍的に進歩したことをアピールする。伝統の歌・踊り・祭りや共同的な生活文化を紹介した後、ナガの若者たちがインド本土に渡って縦横に見聞する視察旅行に密着する。表敬訪問を受ける政治家、軍事パレード、製鉄工場やダム、名所旧跡など大インドの豊かさと国力を見せつけられる道中。青年たちが初めての海で、波打ち際ではしゃぐスナップは、彼ら自身のまぎれもない青春の記録となっている。
『ミゾ民族戦線:ミゾの蜂起』MNF: The Mizo Uprising
監督:ナポレオン・RZ・タンガ/インド(ミゾラム州)/2014/28分
「竹の花が咲くのは凶兆」と言い伝えられる通り、ミゾラムを飢饉が襲った。数年後の1966年、ミゾ民族戦線を率いるラルデンガが、ミゾラム独立を掲げてインド軍駐屯地を一斉攻撃し蜂起した。対するインド軍は市街地を空爆。その後20年間、地下にもぐった義勇兵、市民、インド軍は泥沼の戦争に入った。本作では1986年の和平合意、義勇兵の帰還と平和への移行までを描く。いまでは与党の政治家となった民族戦線のトップ、元戦士、元インド軍兵士、平和交渉に参加したキリスト教指導者など、当時を生きたリーダーたちの証言が貴重な記録としてまとめられている。
G. 春の気配 変わる信仰、民主主義、女性たち
Rustle of Spring: Faith, Democracy, and Women
『新しい神々に祈る』Prayers for New Gods
監督、撮影:モジ・リバ 編集:サンジヴ・モンガ/インド(アルナーチャル・プラデーシュ州)/2001/28分
アルナーチャル・プラデーシュのミジなど、少数民族における宗教と信仰の現在を取材する。従来、アニミズム信仰と儀礼を通して、困難な環境と折り合いをつけてきた部族社会が、キリスト教や近年高まるヒンドゥー教など、新しく流入する宗教の影響を受けている。ドニ・ポロ(太陽と月の信仰)のような土俗的な信仰が、生贄を減らし、礼拝の形を変えながら復興を見せている。神々との関係もグローバル化の波にさらされ変わりつつある。信仰実践の変化は、共同体のアイデンティティ形成に役立つと注目される。
『めんどりが鳴くとき』When the Hens Crow
監督、撮影:タルン・バルティア/インド(メガラヤ州)/2012/54分
母系社会を形成するカーシ民族。名義や財産相続は女性の系統による継承なのに、女性が地域の政治に参加することは許されていない。カーシ山地のジョンクシャ村で、ファティマ、アクォリン、マティルダという3人の女性が交付金の汚職を暴いて村の議会で問題提起した。すると村の権力者は、3人に「村八分」を申し渡し、社会的・経済的に制裁。場をわきまえずに意見する女、村の総意を問い返す女を危険分子と伝統は見なし、「めんどりが時を告げたら、頭を切り屋根に投げ捨てろ」と昔の俗謡は歌っていた。しかし彼女たちは退かないのだった。
『禁止』Not Allowed
監督、撮影:タルン・バルティア/インド(メガラヤ州)/2018/40分
シロンの街角は議論が絶えない。母系社会のカーシ民族が実存的危機にある、ともっぱらの話題だ。カーシの妻と結婚した本土ビハール人の監督が、カーシの伝統で「禁止」されている事柄を考察する。本土の男たちがカーシの女たちをだまし誘惑しているって? 外部者の流入と異民族間の婚姻が増えることは、先住民の伝統を脅かすのか? 母系社会は呪われた制度なのか? ラム酒、音楽と詩に酔い、ケーブルテレビとソーシャルメディアのほとばしりと共に、カーシ社会における多文化の夢を夜どおし探索する。
みどころ
今回は「災害とともに生きる——台湾と日本、継続する映像記録運動」と題して、台湾と日本において長期的に被災地に身をおき、制作を続ける作家の仕事に改めて注目します。
台湾からは、映像制作集団「全景」で活動した黄淑梅の作品を小特集として上映します。921大地震の被災地で、遅々として進まない復興を前に奮闘する住民や支援者の姿をじっくりと記録し、映画全体を通して台湾社会の姿を捉えた『台湾マンボ』、台湾の自然生態文化を歴史的過程からあぶり出し、台湾の現在を優しくも強く後世へと伝えようとする『子どもたちへの手紙』、部族の教育を通して、土地と文化の関係や世代を越えた人びとの絆を描いた『帰郷』の3作品です。また、モーラコット台風の被害と被災地に住む原住民族のあり様を独自の視点で捉えた、蔡一峰、馬躍・比吼、許慧如、3人の監督の作品を上映します。
日本からは、東日本大震災による原発事故から月日が流れ、飯舘村に帰った村民たちの想いを描いた福原悠介の『飯舘村に帰る』や、震災後の陸前高田で制作を続けていた小森はるか+瀬尾夏美の『二重のまち/交代地のうたを編む』などが並びます。
最終日の15日には、出品監督や研究者を招き、日台の作品を通したディスカッションを行います。お見逃しなく!
『春を告げる町』HIRONO
監督、撮影:島田隆一/日本/2019/130分
東日本大震災以降、刻一刻と変わり続ける福島県広野町の景観が長期にわたり記録されている。本作は、これまで/これからも広野町で生活するさまざまな人びとの想いを描くことによって、震災、原発事故が広野町に生きる人びとと町に何をもたらしたのかを、映像に残すことを目的に制作された。そして作品全体を通して、日本の今そのものが語られようとする。
『この空を越えて』Over The Sky
監督、撮影、編集:椎木透子/アメリカ、日本/2019/42分
東日本大震災による被害と原発事故の影響に苛まれながらも、被災から1ヶ月後に練習を再開した福島県南相馬市立原町第一中学校の吹奏楽部。生徒たちの音楽への熱意とそれに懸命に応える顧問の阿部和代の姿を追い、音と想いが紡がれていく。2017年、かつて水爆実験に遭遇した史実を元に作曲された「ラッキードラゴン」を携え、彼らは東京での音楽祭へと向かう。
『未来につなぐために~赤浜 震災から7年』Fight for the Future
監督:小西晴子/日本/2018/52分
東日本大震災における22メートルを超える大津波と火災で壊滅的な状況となった岩手県大槌町。国と県は、津波対策として、高さ14.5メートルの巨大な防潮堤の建設を提示するが、赤浜地区の住民はこれを拒否した。政治状況に揺られながらも、生まれ育った赤浜地区の未来のために闘いを続ける住民たち。その姿を彼らの郷土への想いとともに映像は記録する。
『飯舘村に帰る』Return to Iitate Village
監督、撮影、編集:福原悠介/日本/2019/55分
東日本大震災による原発事故の影響で、思いもよらず避難しなければらなかった福島県飯舘村の人びと。避難指示が解除され、6年以上続いた仮設住宅での暮らしから、村に帰る選択をした村民たちは、かつての村の様子や帰村後の暮らし、村への想いを語る。語りを聞き、身ぶりを捉えた映像の記録。
『二重のまち/交代地のうたを編む』Double Layered Town / Making a Song to Replace Our Positions
監督:小森はるか+瀬尾夏美/日本/2019/81分
2011年の東日本大震災後、小森はるかと瀬尾夏美は、陸前高田で生活をしながら制作を続けた。本作は、2人がワークショップのかたちで4人の出演者を募り、町を訪れた彼らが、人びととそこにある風景へと関わる過程を見つめ、記録している。震災の体験が共有される機会が減りゆくなかで、瀬尾の制作したテキスト「二重のまち」の物語とともに、新たな出会いと対話が展開されていく。
『心の呼び声』Somewhere over the Namasia
監督、編集:蔡一峰(ツァイ・イーフォン)/台湾/2012/58分
高雄県の那ナ マシア瑪夏地区。台風モーラコットによる土石流災害を生き延びたブヌン族の人々は、どこで生活を再建するか決断を迫られる。別の土地に移住するか、再び故郷に戻るか、あるいは転売が許されない無償の被災者支援住宅に一生暮らすのか。しかしいずれを選択しても、「故郷の山に帰る」という彼らの願いは変わらない。
『カナカナブは待っている』Kanakanavu Await
監督:馬躍・比吼(マーヤウ・ビーホウ)/台湾/2010/95分
高雄市を流れる楠ナンズーシェン梓仙溪(川)のほとりに暮らしていた、400人ほどの少数原住民族カナカナブ。台風がもたらした土石流の被害により避難を余儀なくされた彼らは、再び故郷に戻り、自分たちの手で困難な家の再建に取り掛かる。父祖伝来の地で、部族の本来の暮らしと誇りを取り戻すべく奮闘する彼らの姿を記録。
『洪水の後で─家についての12の物語』Twelve Stories About the Flood
監督、編集:許慧如(シュウ・ホイルー)/台湾/2011/60分
台風モーラコットにより大きな被害を被った高雄県那ナマシア瑪夏地区の南ナギサル沙魯部落。被災し、家を失った原住民の人々の、その過酷な現実、悲しみ、絶望を12の物語として記録した。
『台湾マンボ』Formosa Dream, Disrupted
監督:黄淑梅(ホアン・シューメイ)/台湾/2007/145分
台湾921大地震とそれに伴って発生した大規模な地滑り・土石流により、壊滅的な被害を受けた南投県中寮郷。清チンシュイ水村に隣接する12の被災世帯は、山に近い別の土地を借り、一刻も早い家屋の再建を望むが、郡政府の頑迷な官僚主義と規制に阻まれ続ける。監督は彼らの長く苦しい闘いに同伴し、被災者救済に対する政府の硬直的な姿勢を浮き彫りにしていく。YIDFF 2005「大歩向前走─台湾『全景』の試み」にて前作『中寮での出会い』(2005)を上映。
『子どもたちへの手紙』A Letter to Future Children
監督:黄淑梅(ホアン・シューメイ)/台湾/2015/96分
1999年の921大地震の被災地を撮影していたとき、監督は深夜、地滑りに襲われる夢を見る。10年後、その悪夢はモーラコット台風によって現実のものとなった。そして過去の植民地時代より現在に至るまで、この美しい島の自然が為政者や人々によってどのようにぞんざいに扱われ、損なわれてきたかをたどり、その負の記録を未来の世代へと伝えていく。
『故郷はどこに』Out of Place
監督、脚本:許慧如(シュウ・ホイルー)/台湾/2012/78分
一家のルーツが台湾原住民の平ピンプー埔族であるかもしれない監督の夫とその家族。その可能性を探り、自らの民族的アイデンティティについて思いをめぐらす。一方、台風によって大きな被害を受けた被災地・小シャオリン林村では、その平埔族の文化の継承が危機に瀕している。「故郷」の探究と喪失をめぐる思索の旅路。
『帰郷』Coming Home
監督:黄淑梅(ホアン・シューメイ)/台湾/2018/99分
台風モーラコットによって壊滅的な被害を受けた南部・屏ピンドン東県の山岳地域。原住民族のルーツを持つ人々が、災害によって先祖伝来の土地が失われ、民族独自の伝統文化も消えてしまうという危機感から、自然豊かなその土地に戻り、子どもたちに言葉や伝統文化、生活の知恵、そして部族の魂を伝える教育活動を始める。
このたびインターナショナル・コンペティション部門上映『死霊魂』監督である王兵(ワン・ビン)さんが、残念ながら都合がつかず来場できない運びとなりました。つきましては、10/12(土)の上映後のみ、質疑応答を下記に変更させていただきます。ご承知おきいただきたく、お願い申し上げます。
10/12(土)10:00-20:01『死霊魂』上映後
【旧】王兵監督が登壇しての質疑応答
↓
【新】村山匡一郎さん(映画評論家)、赤倉泉さん(山形大学人文学部法経政策学科准教授<専門:現代中国政治>)
によるトーク
さて30周年の今年の映画祭は、上映プログラムやオリジナルグッズのみならず、イベントも目白押し。なかでも、2017年に山形まなび館で開催された「ドキュ山マルシェ」は、今年さらに規模を拡大し、山形市民会館前広場にて開催します!
出店者のみなさんは、バラエティ豊かにして、映画との相性も抜群です。上映と上映の合間や、あるいはちょっと散歩のついでに、ぜひお立ち寄りください!
なお、ドキュ山マルシェの開催期間である10月12日(土)から14 日(月・祝)のあいだは、マルシェの隣にフィンランドサウナも出現します!こちらもご興味のある方は、ぜひ水着をお持ちの上遊びにいらしてください。「そんなに本格的じゃなくてもちょっとだけ…」という方は、着衣のまま入っていただけるテントサウナもありますので、ぜひお気軽にのぞいてみてくださいね。お待ちしています!
■ドキュ山マルシェ Docu-Yama Market 2019
■10月12日[土]~14日[月・祝]10:00-17:00
■会場:山形市民会館前広場
❚October 12 (Sat)–14 (Mon) 10:00-17:00
❚Venue: Square in front of Yamagata Citizens’ Hall
YUKIHIRA coffee
最高のポテンシャルでドキュメンタリー映画を楽しんで頂けるよう、個性的豊かなスペシャルティコーヒーとそれに合うお菓子をご用意します。コーヒーは少量カップやタンブラーへ入れるなど、用途に合わせて販売いたします。
ユルリハナスタジオ・鏡畳店・トガセマコト
Yururihana Studio+Kagami Tatami-ten+Togase Makoto
(Tatami and hemp rag mat) 素足の生活に気持ちの良い国産畳と麻のラグの展示体験会をします。ニットクリエイターが彩る空間をぜひ体験してみてください!
カフェフクダエン CaféFukudaen (Japanesetea)
日本茶専門店が作る、本格的日本茶系ドリンクのスタンドカフェです。 抹茶、ほうじ茶、緑茶などを1回ずつ淹れて作ります。「くろみつ抹茶ラテ・抹茶ラテ・ほうじ茶ラテ・アイスグリーンティー」などの定番メニューと季節限定の「タピオカ抹茶ミルク&ほうじ茶ミルク」「ぷちだいふく抹茶ミルク&ほうじ茶ミルク」「水ようかん抹茶ラテ&ほうじ茶ラテ」などなどメニューいろいろ。ぜひ会場でお会いしましょう!
Café 990 (Sausage and drink)
牛肉100%のソーセージを使ったホットドッグとトマトを練り込んだソーセージを使ったチーズドック、コーティングジュース入りの彩り鮮やかで不思議なジュースをご用意します。
( 株 ) 丸俊 Marutoshi (Wine)
日本有数の高品質なぶどうの産地、山形県。新進気鋭のナチュラルワインをはじめ、スパークリン グワインなどの山形県産ワインや地ビールを、ショットで楽しめるバーを準備しました。お気軽にお立ち寄りください。
みどころ
2015年に好評を博した企画「Double Shadows/二重の影」の第2弾。
前回は映画史の枠組みを検証する作品を多く上映したが、今回のプログラムでは、映画が人間や人生、その生き方がいかに影響し合うかというテーマを軸に作品を選出。世界的に映画保存の問題が注目されている今だからこそ、映画の保存や存続についてもう一度見つめ直す。
『革命の花― ヴェトナム・ローズの日記 』(2017)では、途中で中断した別の映画監督の作品をフィリピンの若き作家ジョン・トレスが、当時のキャストを探し出し映画を完成させる。未完成の作品を別の作家が完成させるという異色の一作。
さらに、今回のプログラムではドキュメンタリーの世界の偉大な先駆者の追悼の意味合いも込めて、ジョナス・メカス『富士山への道すがら、わたしが見たものは…』(1996)、イェルヴァン・ジャニキアン、アンジェラ・リッチ・ルッキ『アンジェラの日記― 我ら二人の映画作家』(2018)、マルセリーヌ・ロリダン『ある夏の記録』(1961)を上映。『ある夏の記録』がフランスでリメイクされ、晩年のマルセリーヌ・ロリダンも出演する『ある夏のリメイク』(2016)も必見。彼らの軌跡を通して、現代にも通じる映画と私たちの生き方を考えたい。
映画ファンならば、そのタイトルに引かれる『マーロン・ブランドに会う』(1966)、『パウロ・ブランコに会いたい』(2008)など、このプログラムでしか見られない日本初公開作品を多数上映。第72回ロカルノ国際映画祭最優秀監督賞受賞し日本でも話題を集めたダミアン・マニヴェルの新作『イサドラの子どもたち』(2019)では、元コンテンポラリー・ダンサーである監督が満をじして制作した舞踏をテーマに描く、ドキュメンタリー映画か否か絶妙な構成で魅せる注目作。
特集に合わせて、ジョナス・メカス「フローズン・フィルム・フレームズ」と題し展示も開催。詳細はこちら: http://www.yidff.jp/2019/program/19p5.html
『富士山への道すがら、わたしが見たものは…』On My Way to Fujiyama, I Saw…
監督、撮影、編集:ジョナス・メカス/アメリカ/1996/25分
ジョナス・メカスが1983年と1991年に来日した際に、愛用のボレックス・カメラで撮影した日本。とりわけ、メカス日本日記の会が主催した「メカス1991年夏─ニューヨーク、リトアニア、帯広、山形、新宿」に参加するために8月に来日した際には、帯広を経由して山形を訪問し、『リトアニアへの旅の追憶』の上映、詩人の木村 夫、鈴木志郎康両氏との鼎談が企画されたほか、銀山温泉にも足を伸ばしている。メカスの見た日本の風景、日本の友人たちとの語らい。儚く、一瞬にして消えてしまう情景が、ダリウス・ナウヨカイティスのパーカッションとシンクロし、メカスにとっての日常がスクリーンに立ち上がる。
『メカスの難民日記』I Had Nowhere to Go
監督:ダグラス・ゴードン/ドイツ/2016/100分
映画作家ジョナス・メカス(1922-2019)は、ドイツによるリトアニア占領から逃れようとした際にナチスに捕まり、ハンブルク郊外の強制労働収容所に収容される。その後、逃亡し難民キャンプを転々としながら、1949年にアメリカへ亡命する。本作は、故郷を追われ、根無し草となったメカスの「日記」であると同時に、戦争の惨禍が生み出した、難民そして亡命者の記録でもある。メカスと長年親交のあったダグラス・ゴードンは、本人による『メカスの難民日記』(みすず書房、2011年)の断片的な朗読を作品の大半を占める黒い画面の上に重ね、時空間を切り替えながらその人生を再構築する。
『パウロ・ブランコに会いたい』Two, Three Times Branco: A Ledgend’s Producer
監督、編集:ボリス・ニコ/フランス、ポルトガル/2018/110分
1981年、映画批評家セルジュ・ダネーは、マノエル・ド・オリヴェイラ監督の撮影現場を見学するためにリスボンを訪れる。ダネーが記すように、この時代のポルトガルは、映画の「中心地ではないが、一時的に磁力を持った極」をなしており、ラウル・ルイス、ヴェンダース、クレイマー、モンテイロなど、多彩な映画作家が集まり、数多くの作品が生み出され海外へ紹介されていった。その只中で彼らの作品を製作していたのは、若き日のパウロ・ブランコだった。35年の月日が経った。リスボンとパリを行き来し、経済的な成功と破綻を繰り返しながら「伝説のプロデューサー」となった男に会うために、現在からあの時代へと遡るために、新しい世代のドキュメンタリストがダネーのテキストに導かれつつポルトガルへ旅立つ。
VIDEO
『さらばわが愛、北朝鮮』Goodbye My Love, North Korea
監督:キム・ソヨン/韓国/2017/80分
YIDFF 2001アジア千波万波で上映された『居留―南の女』のキム・ソヨン監督(監督名ソハとしてクレジット)による作品。朝鮮人集団移住者を取材した「亡命三部作」の完結編。建国して間もない時期に、モスクワの映画学校で学ぶために北朝鮮を離れた人びとがいた。「モスクワの8人」として知られている彼らは、キム・イルソンの偶像化を批判し、約束された将来を捨てて1958年にソビエトへ亡命した。生き残ったメンバーである、撮影監督のキム・ジョンフンと映画監督のチェ・クッキン、作家のハン・デヨンの未亡人となったロシア人の妻へのインタヴューを通して、異国での生活、芸術家としての活動、彼らの信念が語られる。「生まれたところを故郷と呼ぶが、死に場所を何と呼ぶのか」という作品の問いは、望郷の念と未来への決断とに引き裂かれたディアスポラの過酷な運命を浮かび上がらせる。
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『声なき炎』Mute Fire
監督、脚本、編集:フェデリコ・アテオルトゥア・アルテアガ/コロンビア/2019/85分
1906年3月6日、コロンビアのラファエル・レジェス大統領暗殺未遂の罪により、4人の男たちが銃殺刑に処せられた。椅子にくくりつけられ放置された死体を眺める群衆をとらえた写真。のちにこのイメージは、事件を描いた劇映画にクーデターの失敗として用いられ、独裁権力を強化することに与するだろう。コロンビアの映画史はここから始まり、ラテンアメリカにおける映画は、つねに暴力の歴史と結びついてきたと本作は問題を提起する。映像における改ざん、捏造、プロパガンダ。それは、個人の記憶とも無縁ではない。自分の母親が話すことを突然やめたのは何故なのか。彼女の残したホーム・ビデオを手掛かりに、大文字の歴史に巻き込まれ、犠牲となった人びとの傷、押し潰された声なき声が顕在化する。
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『イサドラの子どもたち』Isadora’s Children
監督:ダミアン・マニヴェル/フランス、韓国/84分
伝説の舞踏家として名高いイサドラ・ダンカン(1878-1927)は、1913年4月にふたりの子どもを亡くした後、「Mother」と題された別れのソロを創作する。子どもが旅立つ最後の瞬間に、優しさが極限にまで高められ、母親はわが子を抱きしめる。1世紀を経て、4人の女性が胸の張り裂けるようなダンスと向き合う。ダミアン・マニヴェルが初めてダンスそのものに取り組んだ本作は、ロカルノ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞した。
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『ある夏の記録』Chronicle of a Summer
監督:ジャン・ルーシュ、エドガール・モラン/フランス/1961/86分
パリ、1960年夏。街へ出たカメラは、様々な人びとを切り取っていく。工場労働者、会社員、芸術家、学生、黒人移民─世代も生活環境も異なる人びと。「あなたは幸せですか?」という質問が投げかけられ、愛、仕事、余暇、人種問題について取材が重ねられていく。作品の後半、インタヴューとして撮られた映像について、被写体となった人びとが集められ、議論を交わす。カメラの存在を意識するのかしないのか、映画に映し出された姿は真実(cinéma vérité)なのか、それはあくまでも演技(cinéma mensonge)でしかないのか。撮影対象に積極的に関わることにより、映画の持つ作為的な要素や政治性が明らかなものとなり、概念としての「リアル」と「フィクション」が問い直される。ルーシュとモランの共同監督による、軽量の16ミリカメラと録音機で撮影されたシネマ・ヴェリテの代表作。のちにヨリス・イヴェンス夫人となり、ドキュメンタリー映画作家となるマルセリーヌ・ロリダン(1928-2018)がインタヴュアーとして重要な役割を演じている。
『ある夏のリメイク』Remake of a Summer
監督、撮影:マガリ・ブラガール、セヴリーヌ・アンジョルラス/フランス/2016/96分
本作は、ジャン・ルーシュとエドガール・モランによる『ある夏の記録』の現代版リメイクである。「あなたは幸せですか?」─オリジナルから50年の月日を経て、ふたりの若い女性監督が、夏の間パリとその郊外で同じ質問を投げかける。人びとはどのように返答するのか、時代が変われば答えも変わるのか。生についての問いかけは、フランス社会のポートレイトであると同時に、手法としてのシネマ・ヴェリテの意義を今日において見直す試みとなるだろう。
『木々について語ること~トーキング・アバウト・ツリーズ』Talking About Trees
監督、脚本、撮影:スハイブ・ガスメルバリ/フランス、スーダン、ドイツ、チャド、カタール/2019/94分
1960~70年代に民主主義と自国の映画史を築くことへの期待を胸に、スーダン国外で映画制作を学んだ男たち。故郷へ戻った彼らは、長年放置されていた屋外の映画館を再活用することに奔走するが、行政からの許可は下りない。スピーチの声は、礼拝を呼びかけるアザーンによってかき消されてしまう。本作は、喪失を生きる人間と映画史の物語である。度重なる軍事政権やクーデターに翻弄され、疲弊する人びと。暗闇のなかで『サンセット大通り』(1950)の最後の場面を再現する4人の老夫たちの身振りは、映画的な遊戯となる一方で、どこか空虚なものに見えるかもしれない。だが、独裁政権下の沈黙を批判するブレヒトの詩に由来する題名が象徴するように、巡回上映を続ける彼らのスクリーンには、愛と誇りに満ちたアフリカ映画への夢が寡黙かつ雄弁に映し出されるだろう。
『あの店長』The Master
監督:ナワポン・タムロンラタナリット/タイ/2014/80分
かつてバンコクのマーケットの一角に実在した、海賊ビデオ店。タイで手に入れることの困難だった古今東西の「アート系作品」を数多く取り揃え、シネフィルたちの欲望に応え続けたこの店舗では、字幕やパッケージだけでなく、作品解説までもが自前で制作されていた。1990年代後半から2000年代前半にかけて、タイ映画のニュー・ウェーブの誕生を準備したともいえる伝説的な場所について、常連客だった映画監督、脚本家、批評家たちが語る。彼らの情熱的な言葉から、映画への愛と不法コピーをめぐる問題が浮かび上がる。多様なインタヴュー、エピソードをモザイク状に組み立てあげ、ひとつの実体を多角的な視点から描くその手法は、同監督の『36のシーン』(2012)から『BNK48:Girls Donʼt Cry』(2018)に至るまで一貫するものだといえるだろう。
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『チャック・ノリス vs 共産主義』Chuck Norris vs Communism
監督、脚本:イリンカ・カルガレアヌ/イギリス、ルーマニア、ドイツ/2015/81分
1980年代の冷戦期、チャウシェスク独裁政権下のルーマニア。検閲によって西側の情報や映像が生活のなかに入ってくることはほとんどなく、テレビでは自国の退屈なプロパガンダしか放映されていない。人びとは旅行を制限され、秘密警察による監視を恐れている。そのような状況のなかで権力への抵抗ともなったのが、地下流通するハリウッド映画のVHSテープであり、チャック・ノリスであり、ロッキーだった。警備員を買収し国境で受け渡されるVHS、謎の闇業者、自由な世界を象徴する吹き替えの女性の声。本作では、当時を振り返る人びとのインタヴューに再現映像を織り交ぜながら、ルーマニア人たちが映画に憧れ、物語を渇望していた時代を描き出す。
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『革命の花―ヴェトナム・ローズの日記』People Power Bombshell: The Diary of Vietnam Rose
監督、編集:ジョン・トレス/フィリピン/2016/89分
1986年、ピープル・パワー革命(エドゥサ革命)と期を同じくして、フィリピンの映画監督セルソ・アドヴェント・カスティーヨ(1943-2012)は、マニラ南部に位置する島で撮影を開始する。カスティーヨはホラー、サスペンス、アクションといった様々なジャンルの作品を手がけたことで知られるが、1970年代初頭には、道徳的な教訓を込めたソフト・ポルノ「Bomba Films」を数多く制作している。将来を嘱望されたセクシー女優、リズ・アリンドガンを起用した映画は、ヴェトナム戦争から逃れた漁師の家族の物語を描くはずだったが、予算の問題から撮影の中断を余儀なくされる。それから30年の月日を経て、ジョン・トレスは、残された『The Diary of Vietnam Rose(ヴェトナム・ローズの日記)』のフッテージを活用し、存命する当時のキャストの参加を得て、新たに撮影・録音された素材をミックスして未完の作品を完成させる。映画の夢と政治の夢、人びとの記憶がフィルムの上で交差する。
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『ショウマン』Showman
監督、撮影、製作:アルバート・メイズルス、デヴィッド・メイズルス/アメリカ/1963/53分
メイズルス兄弟初期の代表作のひとつ。独立系の映画プロデューサーとして知られたジョゼフ・E・レヴィンの肖像。ボストンのスラム街で育ち、小さな配給業者としてそのキャリアをスタートしたレヴィンは、派手な宣伝手法によって興行的な成功を収め、製作した『ふたりの女』(1960)では、ソフィア・ローレンがアカデミー賞の主演女優賞を受賞している。メイズルス兄弟のカメラは、日々映画を売り続ける男の姿を本人に意識されることなくとらえ、女優たちに囲まれた生活、幼少期の友人との会合、芸術と商品をめぐるデヴィッド・サスキンドとの対話が映し出される。本作はレヴィンによって劇場での公開を禁止された。
『マーロン・ブランドに会う』Meet Marlon Brando
監督、撮影:アルバート・メイズルス、デヴィッド・メイズルス/アメリカ/1966/29分
主演作の公開を控えたマーロン・ブランドに対するジャーナリストたちの取材。自作の宣伝に一切関心のないブランドは、つねに笑みをたたえながらもウィットや皮肉で返答し、まともに取り合わない。反対に、記者に対して質問を投げかけ、人種問題に話が及ぶとたまたま通り掛かった女性を議論に参加させてしまう。インタヴューという行為を通じて、メイズルス兄弟はひとりの俳優がいかにして商品になるのか、そしてどのようにそれに抗うのかを考察すると同時に、人間にとって演じることで生み出される多様な相貌の豊かさをフィルムに記録する。
『アンジェラの日記―我ら二人の映画作家』Angela’s Diaries: Two Filmmakers
監督、製作:イェルヴァン・ジャニキアン、アンジェラ・リッチ・ルッキ/イタリア/2018/125分
40年以上にわたり、ふたりで映画制作に取り組んできたイェルヴァン・ジャニキアンとアンジェラ・リッチ・ルッキ。2018年2月、リッチ・ルッキが亡くなった後に、その日記を読み返すジャニキアン。彼女は、毎日のように小さなノートに日記をつけていた。文章と添えられたイラスト。内容は、公的な出来事から私事、ミーティングや読んだ本に至るまで、すべてが記録されていた。ロシア、イラン、アルメニアへの旅。映画を通じて出会った人びと。作品の上映、観客の反応。日記のテキスト、イメージに彼らの日常を記録した8ミリフィルム、ビデオのフッテージが加わる。編み直された彼らの個人的な歴史にその創作スタイルが重なり、妥協することのない芸術への姿勢、人生に対する愛が刻まれる。
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