1月12日[金] 〈YIDFF 2017 アンコール 1:スイスと移民・難民〉
2017年の映画祭で上映されたインターナショナル・コンペティション作品について、いよいよアンコール上映がスタートします。スイスの移民、難民をテーマに関連した過去の映画祭作品も同時上映!
『カラブリア』 14:00- 18:45-(2回上映)
山形国際ドキュメンタリー映画祭 2017 インターナショナル・コンペティション上映作品
監督:ピエール=フランソワ・ソーテ/スイス/2016/117分
作品紹介:
スイスの葬儀会社で働くふたりの男が、ある遺体を霊柩車でイタリア・カラブリア州へと移送する。故郷セルビアで歌手として活動していたジプシーのジョバンと、ポルトガル出身でインテリのジョゼ。ふたりは閉ざされた車内でおのずと語り出す。死後の世界、人生、そして愛について……。彼らの背後では、カラブリア出身の死者が静かに眠っている。そのいずれもが、それぞれの事情でスイスにやってきた移民たちである。男たちの対話と旅先での一期一会を、叙情的なジプシー音楽とともに洗練された映像で描く人生讃歌。
監督のことば:
私は、あるイタリア人労働者が残した最後の願いを映像に収めた。1970年代、彼はよりよい暮らしを求めて移民としてスイスにやって来たが、故郷の村に埋葬されることを願っていた。
本作は、仕事を見つけるために故郷の南イタリアを離れたすべての男たちに捧げる映画だ。この歴史的な事実を出発点として、私はさらに視野を広げ、よりよい暮らしを求めて故郷を離れたすべての人々を描くことにした。また、時の流れを哲学的にとらえ、人は誰でも死という無に向かっているのだから、今すぐに人生を楽しまなければならないというメッセージも込められている。
映画の主人公は、ジプシーの歌手ジョバンと、インテリのポルトガル人ジョゼだ。私は彼らの姿を通して、移民に対する固定観念を打ち砕きたいと思っていた。地球上を移動する人々は、ただの顔のない集団ではない。移民とはつねに個人であり、それぞれに独自の過去がある。
私はこのロードムービーを、精緻な演出を用いた上で、純粋でシンプルな手法で撮影した。対象を正面から捉えるシンプルなショットにより、主役たちと観客の間に直接的なつながりが生まれる。私が観客に望むのは、目の前で展開される人生にただ集中してもらうことだ。私たちは死というものの存在を忘れがちだが、それはつねに人生とともにある。
この映画は死から出発して、そして人生の驚くべき豊かさを語る。
映画とは、何かを暗示する力、喚起する力を持つ表現であると信じられてきた。私はその映画の伝統に則り、この作品を撮りたいと思った。ある個人の目から見た現実を描くことで、人生を見つめていく映画だ。私がこの形式を選んだのは、観客の想像力を刺激するためだ。観客がとても個人的なレベルで、この映画体験に参加することを願っている。
ピエール=フランソワ・ソーテ
『要塞』 16:15-(1回上映)
山形国際ドキュメンタリー映画祭 2009 インターナショナル・コンペティション上映作品
監督:フェルナン・メルガル/スイス/2008/105分
作品紹介:
スイスの難民受け入れ施設。そこには亡命を希望する人々が、当局の決定を待つ間一時的に収容されている。様々な理由で故国を離れ、生きる場所を求めて世界中から流れ着いた者たちと、受け入れの是非を検討する職員たち。施設内に生まれるささやかな交流。日常的に“選別”が行われている場を見つめ続けることによって、今日の難民問題の現実を浮き彫りにする。
監督のことば:
中立政策が受け継いできた遺産として、難民保護はスイスの人道的たらんとする伝統の中心的な部分を占めている。人権と人道的な制度を重んじるこの国は、その歴史の長きにわたって、常にあらゆる生まれ、宗教、政治的立場を持った亡命者たちが向かう特別な場所だった。その難民保護政策の基礎となっているジュネーヴ条約が原則に掲げているのは、何人もその生命や自由が脅かされ、拷問や卑劣な懲罰を受ける危険のある国家へ送還されてはならない、というものだ。
しかし、近ごろヨーロッパのなかで、もっとも厳しい制限のついた法律のひとつが採択されたことで、長らく続いてきた人道主義の伝統に終焉を告げる鐘が鳴り響いているようだ。人道に適ったノアの箱舟は遠ざかり、私たちは、さながら先の大戦の暗黒時代、ユダヤ人の入国拒否に関して、連邦議員が「船は満員だ」のひと言でそれを正当化したころにまで舞い戻ってきてしまったかのようだ。
今回の難民保護法の改定では前提としてまず、移民は脅威で、もめごとを起こす、甘い汁を吸いに来る人物であると見なされている。形骸化させることで防御壁が設けられている。一方でEU圏外からの移住はどんな形でも許可しない (地球上の約95%の人間がここから排除されている!)とし、また一方で難民保護へ通じるすべを形骸化させている。外国人が国境を越えられたとしても、元の社会的立場にかかわらず、その人には自分が2等市民でありこの先もそうだろうと思わせておくように、すべてが仕組まれているのだ。
私は、この国で他者への恐怖を煽り立てたものが何なのか、保護区だったこの地を難攻不落の要塞に変えてしまったものが何なのかを理解したかった。そこで、高度に戦略的な場である、連邦政府による一時収容施設に視線を向けることにした。というのも、亡命者を入国させるか否かのふるいにかけるこの施設においてこそ、申請者の運命は決せられるからだ。選別が行われ、決定が下るのはここだ。2度の面接の後、連邦当局の役人は申請者の人生を決定づけることになる。残ることができるか、出て行かなければならないか。
フェルナン・メルガル