そもそもエドワード・サイードによって確立されたポスト・コロニアリズムとは、西洋的文脈のなかだけでアラブ世界を認識、表象する態度への批判様式であって、植民地解放後の理想的な状態を説くものでもなければ単なる植民地主義批判でもなく、あくまで世界の現状を把握するための手段のひとつである。
サイードが『オリエンタリズム』によって新たな世界認識の視点を提供する20年以上前の1950年代初期のフランスは、アルジェリア独立運動の高まりを地中海を隔てた向こう側から感じつつも未だアフリカ大陸のサハラ以南に大規模な植民地を保持しており、植民地解放後の世界認識をまだ必要としていなかった。しかし優れた映画や文学は、時に予言的に時代を見通してしまうことがある。1953年のフランスでクリス・マルケルとアラン・レネは、『彫像もまた死す』によってアフリカにおける植民地主義の致命的自己矛盾を文化人類学という当時まだ新しかった視点によって暴き、アフリカ世界への認識の修正を迫った。
もし仮に本作を消音状態で鑑賞した場合、アフリカという異世界の紹介映像としてのみ解釈されることだろう。アフリカン・アートの展覧会に訪れるひとりの都会化されたアフリカ系女性。彼女が立ち止まった先にはアフリカの素朴な仮面や彫刻が並んでいる。覗き込む彼女。やがてそれらの仮面や彫刻は、鑑賞する彼女自身のルーツを遡るようにしてアフリカについて語りはじめる。羞恥心もなく上半身をはだける女たちが映され、呪術的な踊りや儀式が繰り広げられる。そういった映像はキリスト教世界においては、おそらく、アダムとイブの追放以前の楽園を想起させるだろう。しかし実際の映画ではナレーションが加わっている。それも映像の補完機能としての役割を大きく逸脱し、映像によって喚起される安易な人類学的ノスタルジーへの手厳しい批判が散りばめられた内容を語りかける。アフリカは西洋によってそれと認識される以前からすでにそこに存在しており、西洋の内側にあったものではない。植民地主義の帰結として西洋を頂点とする人類学的ヒエラルキーの下層部にアフリカを位置づけることは西洋の傲慢な願望であり、結果、西洋によって手なずけられたはずのアフリカだが、本作ではスポーツ(ボクシングやバスケットボール)という平等なルール下での闘いによって西洋がいとも容易く打ちのめされ、西洋がその結果をいかに受け入れられずにいるかを戯画的に描いている。
反植民地主義の台頭に直面していた当局の検閲により10年近く上映が禁止された本作だが、その差別的矛盾が皮肉というより滑稽なコメディとして描かれる終盤での光景は、単純な植民地主義批判というより、植民地が解放されることで(少なくとも建前として)平等な権利が与えられた後の世界の混乱を描くものではないか。そしてそれは、現代フランスが抱える個別的な問題のみならず、植民地解放以後の世界秩序の混乱そのものを見事に予見しているのだ。