浜辺で寄り添うふたりの男性、ドウョルとガブリエル。韓国人である彼らはともにHIV感染者で恋人同士でもある。ある日、この映画の監督の携帯に友人であるガブリエルから、恋人ができたとメールが入り、同棲するふたりを被写体にカメラが回りはじめる。

 HIVの進行により視力が著しく低下したため、ドゥヨルの行動はいつもおぼつかない。大晦日の夜、彼らの部屋の小さなテーブルの上のケーキには、0時ちょうどに吹き消そうと用意されたローソクが並ぶ。ドゥヨルはマッチを擦るが、視力が弱いためなかなかうまくいかず、だいたいのローソクに火がともったころには、すでに0時を超えていた。それらをドゥヨルが吹き消すと、何本ものマッチの燃えかすが床に落ちる。このシーンは、おそらく唯一、ガブリエルによって撮影されたものだ。

 そのガブリエルはといえば、家事全般をこなしているらしく、掃除をしたり、料理を作ったりする姿がひんぱんに映し出される。ドゥヨルがまちがって(もしくは店員に売りつけられて)買ってきた商品を返品に行ったりもする。彼はまるでドゥヨルの母親のようだ。

 ドゥヨルは若いころに金を稼ぐ目的で体を売り、男性とも関係を持った。21歳のとき、何気なく献血に行くとHIVに感染していることが判明、それを聞いた友人たちは皆、彼に冷たくあたった。この出来事のトラウマにとらわれた彼は、過去について、また自分の過ちへの後悔について、幾度となく同じような話を繰り返すという。

 彼らの家を訪ねると、ドゥヨルはいつも床でごろごろ寝ている。寝てばかりね、と女性である監督が笑ってカメラを向けると、彼ははにかむように起き上がり、へらへら笑いながら上の方をぼーっと眺めはじめた。何があるのかと視線の先をカメラも追うが、そこではただカーテンが揺れているだけ。そんな彼のことをガブリエルは受け入れようとし、トラウマから立ち直ってほしいと願うが、それゆえにもどかしさも募り、繰り返されるドゥヨルの過去の話に苛立ちを隠せない。
 
 口論や気持ちのすれ違いでドゥヨルは何度か荷物をまとめて出て行き、ひとりになったガブリエルはカメラの前で、この曲が好きなんだ、と『スロー・ダンシング』という曲を流す。そして「愛する人がいて、その人も僕のことを愛している、片思いじゃなく、そんな相手と踊りたい」とつぶやく。

 ベランダの床に座りこみ、外を眺めるドゥヨル。カメラは少し離れたところから彼を映す。窓の外には青空が見える。彼は監督に、人を愛したいと話す。そしてしばらくの沈黙の後、「どうしたらいい、よりよく生きるには?」と問いかけ、突然言葉をつまらせ唇をふるわせた。愛されたいガブリエル、愛したいドゥヨル。よりよく生きてほしいと願うガブリエル、そしてよりよく生きたいと願うドゥヨル。
 
 体調が回復し視力が少し戻るとき、青空を見上げることがドゥヨルの楽しみになる。今まで見えなかった空が少しでも見えるようになるから。するとカメラも彼と一緒に空を見上げるようになる。しかし視力の低下した彼の目に、カメラを通して見るような、はっきりとした青空が映るわけではないだろう。青空へ向かって羽ばたこうとする蝶。しかしガラスに遮られ外へ出ることができない。カメラの後ろでドゥヨルの声がする。もっと上へ行かなきゃ。