映画は、だれのもの

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「ドキュメンタリーは、社会を映し出す鏡である」という言葉をよく目にする。

「ドキュメンタリーに見る現代台湾の光と影 映像は語る」は、1990年代の台湾ドキュメンタリーを通して、社会の変容を、様々な環境に身を置く個人の生活や想いを映しだす鏡の集合体といえるかもしれない。

今回とりあげる『あの頃、この時』楊力洲(ヤン・リーチョウ)監督作品は、台湾の映画賞「金馬賞」の50周年を記念して製作された。映画史から戦後台湾の歩みを描いたドキュメンタリー作品だ。映画の歴史から戦後の台湾社会をみつめている。

金馬賞は、蒋介石の誕生日を記念したもので、当初は台湾総統府の意向にそったものだった。民間に委ねられてからは、社会の動向の影響を受けて、変化していく様を、映画の映像を散りばめ、走馬灯のように描いていく。映画史を語るとともに、監督や俳優といった制作者や映画の観客の個人のインタビューを、随所にはさみ込む構成になっている。

「あなたにとって、映画とは何ですか」「どれだけ愛していますか」という監督の問いに、それぞれが、思いのたけを告白しているかのように感じられた。

インタビューに答えた一人の女性は、地方出身で、台湾が農業社会から工業化への変換期に、長女として家計を支えるため工員となった。十代半ばから働き始めた彼女にとっての楽しみは、文芸恋愛映画をみることだった。

上映後のトークショーで、監督は映画にはなかったエピソードを明かした。彼女に

「印象に残っている恋愛映画はなんですか」と尋ねると、『一片の雲』とタイトルをあげ、主題歌を歌ってくれた。一番を歌い終えると泣きだしたのを見て、文芸恋愛映画を軽んじていた自分を恥じたという。

台湾では、長女に生まれれば、自分を犠牲にして家族を支えるのが当たり前だった。そんな一人の女性にとって、スターが演じる夢のような恋愛を描いた映画は、心のよりどころだった。

映画は人の記憶に結びついている。映画は、現実を生きる観客と関わりあうことで、本当の完成をみるのかもしれない。

台湾映画が低迷した時期、外国の資本で製作するという活路を見いだすが、作り手たちは、売上は外国にいってしまう。これでは、工員と同じではないかと自問する。模索のすえ、現実社会への理解が映画を生むという真理にいきついた時、「私たちのことを描く、わたしたちの映画」となったのかもない。

日本でもヒットした『海角七号 君想う、国境の南』の主人公について「夢に挫折した私たちと同じ平凡な人間」と観客がつぶやいたのが印象に残った。

映画の中に、自分達の姿をみつけて受け入れる。映画は、わたしたちに寄りそう、親しい友人のような存在なのかもしれない。(島咲 山形市在住)