7月27日[金]〈YIDFF 2017 アンコール7:インドネシア、家族のふうけい〉
2017年の山形映画祭で上映されたコンペ部門の作品から選りすぐりのものを上映する金曜上映会アンコールシリーズ第7弾! 今回は昨年のアジア千波万波上映作品の中から、マヌエル・アルベルト・マイア監督の『ノカス』と、2011のインターナショナル・コンペティション上映作品からレナード・レーテル・ヘルムリッヒ監督の『星空の下で』を上映します。
『ノカス』 14:00- 19:00-(2回上映)
山形国際ドキュメンタリー映画祭 2017 アジア千波万波 上映作品
監督、撮影、録音:マヌエル・アルベルト・マイア/インドネシア/2016/76分
作品紹介:
西ティモール、クパン。畑仕事に精を出す青年ノカスは鶏を世話するチィと結婚することが決まっているが、一筋縄ではいかない家どうしの婚姻事情が、幸せ一杯のふたりの前に立ちはだかる。持参金や結婚式の形式など、両家の家長により取り決めがなされるなか、決まったものは仕方がないと腹を括ったノカスは、パワフルなシングルマザーの姉、対岸のスマウ島に住む母とその夫の親族を巻き込みながら、必要なお金を工面し結婚を実現しようと奔走する。
監督のことば:
私が初めてノカスに会ったのは2013年の4月だった。私は当時、土地を失う危機に瀕したコルフアの農民の闘いを記録するという課題に取り組んでいるところだった。ノカスは自分の農場で休んでいた。彼の吸うタバコの煙に包まれながら、私たちは母国について語り、自分の土地に暮らすという、生まれながらの権利について語った。ノカスの地元では、巨大ダム建築のプロジェクトがあり、農民は立ち退きを迫られていた。ノカスは、立ち退きに抵抗する数千人のコルフア農民の一人だった。一説によると、ダムの建設には4600万ドル以上が費やされるという。
私がノカスに心を惹かれたのは、彼がまだ独身であると知ったときだ。クパンに暮らす独身の若い男性が、自分の土地で働くことを好むのは珍しい。たいていは地元のプールバーにたむろしたり、都会に働きに出たりしている。農民は政府のダム建設プロジェクトによって苦難に直面し、将来への希望を失った。ノカスの人生の選択に、私は大いに興味を持った。
この勤勉な若者と、彼を取り巻く困難な状況に興味を持った私は、きわめて複雑な彼の家庭生活も知ることとなる。この映画では、ティモールにおける結婚、家族、文化を語るなかで、ノカスが相手方から要求された持参金を用意しようと奮闘し、ついに愛する人と結婚できるまでの物語が作品の軸になっている。つまり、誤解を恐れずに言えば、『ノカス』は現代ティモールの生活を象徴する作品になっている。
この映画の制作に携わった3年間で、私はたくさんのことを学んだ。登場人物や彼らの文化から学んだだけではない。社会の様々な集団を苦しめる構造的貧困と闘うときに、映画は重要で強力なメディアになるということも学んだのだ。ノカスと彼の家族も映画が持つ力に気づき、長期間にわたる撮影に積極的に協力してくれた。プリプロダクションからポストプロダクション、さらには現在進行中の配給という段階に至るまで、映画を製作するすべての過程が、私にとってとても実りのある、学ぶところの多い体験だった。この旅に参加してくれた友人たちも、きっと同じように感じているだろう。
マヌエル・アルベルト・マイア
『星空の下で』 15:40-(1回上映)
山形国際ドキュメンタリー映画祭 2011 インターナショナル・コンペティション上映作品
監督:レナード・レーテル・ヘルムリッヒ/オランダ/2010/111分
作品紹介:
インドネシアの家族を12年間追い続けた3部作の完結編。両親を亡くし叔父一家と暮らす孫娘を訪ねて田舎から出てきた祖母を中心に、定職がなく闘魚に興ずる叔父とそれを嘆く妻との夫婦喧嘩、反抗期を迎えた孫娘の大学進学問題などがテンポよく映し出される。宗教間の衝突や貧富の格差、世代間の意識のずれを巧みに折り込みながら、家族を想う庶民の日常を、疾走するカメラワークでドラマチックかつユーモラスに捉えた。
監督のことば:
本作は、シネマ・ヴェリテやダイレクト・シネマの伝統に則った観察ドキュメンタリー映画である。この映画を含む3部作の中心となる人々ととても親しかったため、どんなドラマチックな状況においても、その展開を予測することができた。撮影中も、内側から家族を観察しながら、メインテーマに関わる重要な部分に焦点を当てた。3部作の他の作品同様、300時間を越えるフッテージを編集する中から、物語(ストーリー)は生まれた。
私はメインテーマである急激に変化するインドネシア社会を撮った部分から、最終的に最良のシーンを選び、論理的でありつつも詩的なシークエンスに編集した。詩は現実のように多層的だからである。映画もただこちらの一方的な解釈を押しつけるものではない。現実の出来事は映画で描かれているよりも遥かに長かったので、そのエッセンスを映画監督の個人的主観で抽出したまでである。
私は本作を前の2作品と同じ手法で撮影した。自ら考案した“シングル・ショット・シネマ”である。具体的に言えば、何かを撮影する際、カメラを大胆に動かしながら、すべてを1回の撮影で収めるのだ。私は目の前で起こっているドラマが最も良く映るポジションにカメラを向ける。中心となる人々を至近距離で追うため、何か事が起こっても、私はいつもその中心にいて、状況を内側の視点で撮ることができる。この手法を取ったのは、観察者は自らが観察しているものの一部であるとの自覚からである。
本作は、実際にカメラの目の前で起こった家族の日常生活のシーンを編集して作られた。そしてこの映画の語りを生み出したのは、常に真実を追い求め、発見するこの撮影方法である。
レナード・レーテル・ヘルムリッヒ
[会場]山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー試写室
[料金]鑑賞会員無料(入会金・年会費無料)
[主催]認定NPO法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭
[問い合わせ]電話:023-666-4480 e-mail:info@yidff.jp