「山の恵みの映画たち2019」
2019年3月15日[金]〜17日[日]
会場:フォーラム山形

『早池峰の腑』

監督:羽田澄子/1982/186分

○上映日時 2019年3月15日(金)13:00〜16:08

神楽は祭り、神楽は祈り。山に生かされて生きる人々の暮らしを見つめた傑作。

 あまりにも美しい雪山の姿からこの映画は始まる。
岩手県北上山地の霊峰「早池峰山」には古くから山岳信仰が存在し、その麓の村落には中世から続く山伏神楽が伝えられている。
映画は、雅でありながら素朴さをも併せ持つこの神楽を継承している人々の生活や言葉を丁寧に記録しながら、そしてそれを見守るように聳え包み込む早池峰山の四季折々の姿を捉えてゆく。山の姿はまさに生き物。
日本を代表するドキュメンタリー映画作家 羽田澄子の代表作でもあるこの作品、3時間6分という時間に身を委ねていると、この地域の人々が何世代にも渡り持って来た、山があるから自分たちがいるというリアルな歴史意識が静かに強く伝わってくる。暮らしも心も山に見守られて生きてきたという幸福。
そして、この作品は、霊峰の山懐で守り伝えられてきた神楽の魅力を存分に映し出す。数々の演目を持つ神楽の衣装や物語や激しくも雅な舞いに込められた人間の思いと技が、山村の暮らしや綿々たる営みの中で磨かれ、一瞬、「祭り」として爆破するとき、村人の体も心も燃え、遠くからも多くの人を集つめ、奥深い山の村は別の輝きを放つ。日々訓練を続け、短い夏に神楽を舞い、村人が総出で支える祭り。まさに神楽は、ここで生きてゆく証しなのだ。
人は生きて死に、世代が変わる。しかし、山が生き続けるように、人は神楽を何世代にも渡って伝え続ける。山と生きる、神楽と生きる。そして明日も生き続けるようにと。
この機会に、この作品をじっくりと味わってください。

○羽田 澄子 プロフィール
1926年、旧満州生まれ。自由学園を卒業後、岩波映画製作所に入社。1957年に製作した「村の婦人学級」以降、これまでに90本を超すドキュメンタリーを手がけてきた。「薄墨の桜」(77)から自主製作に取り組むようになり、「早池峰の賦」(82)、「AKIKO-あるダンサーの肖像」(85)、「痴呆性老人の世界」(86)、「安心して老いるために」(90)、「歌舞伎役者 片岡仁左衛門」6部作(92~94)、「住民が選択した町の福祉」3部作(97~2005)、「平塚らいてうの生涯」(01)、「山中常盤」(04)、「終りよければすべてよし」(06)など、一作ごとに話題を集める、日本の女性監督のパイオニアである。


『川はだれのものか 大川郷に鮭を待つ』

企画・制作・演出:菊地文代/2014年/94分

◯上映日:2019年3月17日[日] 18:15〜19:49

北国に300年以上受け継がれる伝統的漁法「コド漁」。木々が紅や黄金色に染まる頃、清流に鮭が踊る。そして鱗、きらめく。

 新潟県の最北端に位置する大川郷。朝日連峰から日本海へ注ぐ清流では「コド漁」と呼ばれる伝統的な鮭漁が300年以上続けられている。遡上してきた鮭を一網打尽にできるウライや刺し網とは異なり、仕掛けに誘い込んだ鮭を一匹一匹カギで釣り上げる、いわば時代遅れで極めて効率の悪い漁法である。
夏の盛りの頃、大川の鮭鱒(けいそん)部会員たちはみなそろって川沿いを歩く。年によって変化する川底や河原の状況を見聞し、その年の漁場を確認し合う「川分け」のためだ。この実見を踏まえ、部会員全員の同意のもと漁場ごとの値段が決められ、入札が行われる。良い場所を確保し漁の成果を上げるためには、鮭と対峙する前に、まずはライバルの人間同士の闘いというわけだ。
入札のすえ漁場が決まれば、思い通りの場所を手にしたものもそうではないものも、力を合わせて「コド」を仕掛ける。この共同作業は、思いの外楽しげだ。さて鮭を出迎える準備が整えば、あとは遡上を待つのみ。やがてはるばるオホーツク海から里帰りした鮭たちが川面を揺らし、その瞬間がやってくる…。
『川はだれのものか』は、決して派手な映画ではない。鮭と人との交わり、あるいはまた、鮭を通じた人と人とのつながりを、抑制の効いたトーンで丹念にみつめて、描き出している。その魅力はいわば、舌の上で脂がとろけるような養殖サーモンではなく、鮭トバのように噛めば噛むほど味が出る、燻し銀の旨味だ。
さらにいえば、登場する漁師たちには、己の哲学や美学を貫く「職人」気質は感じられない。むしろ、自然と戯れながらその恵みを享受する、極めて「ふつうの」人たちだ。何を隠そう、この映画の最大のヤマ場といっても過言ではない、その年最初の一匹を釣り上げるシーンの地味なこと!(誰が、どんな格好で釣り上げ、どんな地味な反応を見せるかにぜひご注目いただきたい!)
地味であるということは、それがまさに日常と陸続きであり、生活の一部であるということなのだと思う。せっかく足元まで来た鮭を逃せば「あーだめだ」とため息をつく、その脱力感! ああ、これはとんでもないドキュメンタリーだ。


『標高8,125m米 マナスルに立つ』

監督:山本嘉次郎/ナレーション:森繁久彌/日本/1956/97分

○上映日時:2019年3月17日(日)
15:30〜15:58 『ヒマラヤの聖峰 ナンダ・コット征服』
15:58〜17:35 『標高8,125米 マナスルに立つ』
(2本立て上映)

協力:毎日映画社

1953年にエベレストが登頂され、世界の目は8000mの未踏峰に向けられていた。そしてついに、1956年5月9日、標高8125m、世界第八位のヒマラヤの処女峰マナスルは槙有恒を隊長とする第三次日本登山隊によって、ついにその絶頂がきわめられた。およそ62年前のことである。
しかし、カトマンズから16トンの荷物を人馬で運ぶという、それ自体が厳しい登山であったことをこの貴重な映像は伝えてくれる。マナスルは「精霊の山」の意味、麓の人々の信頼は欠かせなかった。
森繁久彌のナレーションが心地よい。
このマナスル登頂の輝かしい記録は、隊員の一人で第一次及び第二次登山隊にも参加、第二次登山の際「白き神々の座」を撮影した依田孝喜(毎日新聞写真部員)により三万呎のイーストマン・カラー・フィルムに収められた。
本映画はこのフィルムから毎日映画社と映配が共同で製作(製作担当者は映配社長の塩次秀雄と毎日映画社社長の対馬好武)編集及び構成は映画監督のヴェテラン山本嘉次郎が当り、約八千呎の作品にまとめ上げた。
また、マナスルは日本人が最初に登頂した山として知られているが、そのマナスルが登山ゴミで汚れていることをネパール人記者から知らされた登山家 野口健が、初登頂から約50年後、清掃隊を組織してマナスル清掃登山を行ったことが、「太陽のかけら ピオレドール・クライマー谷口けいの青春の輝き」(大石明弘著)に記されている。


『富士山頂観測所』『海に生きる 遠洋底曳漁船の記録』

『富士山頂観測所』監督:柳澤壽男/1948/21分
『海に生きる 遠洋底曳漁船の記録』監督:柳澤壽男、樺島清一/1949/33分

○上映日時:2019年3月17日(日)20:30〜21:21

©︎TOHO co.,LTD
©︎TOHO co.,LTD

山、そして海、それぞれの現場で生きる人間たち。
とびきりの喜びや独特の苦労が映像から生き生きと伝わってくる!
これぞ、ドキュメンタリー。

『富士山頂観測所』(朝日文化賞)
福祉ドキュメンタリー映画で知られるドキュメンタリー作家柳澤寿男は他にも興味深い作品を多く残した。『富士山頂観測所』はその代表作。
零下30度の富士山頂で猛吹雪や霧氷と戦いながら、不十分な器材で気象観測を続ける観測隊員たちの日々はまさに苦闘の連続。だからこそ束の間の晴れ間や細やか喜びを分かち合う仲間たちの笑顔は格別。知られざる苦楽の日々を記録した記念碑的作品。

『海に生きる 遠洋底曳漁船の記録』(文部大臣賞、日本映画技術賞)
北九州の漁港を基地に東シナ海等を漁場として活躍する遠洋底曳漁船の乗組員たちの生活を漁場の困難な実態に寄り添いながら記録した傑作。撮影班は1対をなす2艘の漁船と追尾撮影用の3艘目を行き来しながら底曳漁のあらゆる工程に迫り、強風や高波に揺れながら海上で躍動する人間たちの喜怒哀楽や待ちわびる家族を愛情深く見つめている。ダイナミックにして繊細!

山の恵みの映画たち2019のトリを飾るのは、日本を代表するドキュメンタリー作家の傑作2本立て。